検索などで初めていらっしゃった方に

 07/09/06(木)22:37の『米田淳一』でのgoogle検索の結果です。

(cache) 米田淳一 - Google 検索
http://megalodon.jp/?url=http://www.google.co.jp/search%3fq%3d%25E7%25B1%25B3%25E7%2594%25B0%25E6%25B7%25B3%25E4%25B8%2580%26lr%3dlang_ja%26ie%3dutf-8%26oe%3dutf-8%26aq%3dt%26rls%3dorg.mozilla%3Aja%3Aofficial%26client%3dfirefox-a&date=20070906223621

 うちの『米田淳一セントラル』と書いてあるのが私のトップページです。『米田淳一未来科学研究所』とTITLEにしているのですが、googleはTITLEを誤認識している。
 で、その下に『※』と私を呼んでいる人々がいます。
 今、そういう人々のせいか、google検索の結果順位が頻繁に変わります。
 で、そういう人々がどういう人々かということについて。初めていらっしゃった方のために記しておきます。


 こういうページがあります。なにしろこの内容を私に何とかして読んでもらおうとトラックバックを送ってくる。何の恥じらいもなく。


戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)

戦闘美少女の精神分析 (ちくま文庫)


(cache) 戦闘美少女の精神分析 - ※pedia
http://megalodon.jp/?url=http://www.wikihouse.com/pripla/index.php%3f%25C0%25EF%25C6%25AE%25C8%25FE%25BE%25AF%25BD%25F7%25A4%25CE%25C0%25BA%25BF%25C0%25CA%25AC%25C0%25CF&date=20070906223257


 で、私が引用するときに数文字違ったことで私がすべて間違ったように言っている。
 まあ、引用が不正確だったのは私のミスですが、じゃあミスだとメールで言ってくれればいいのに、勝手なサイトを作って必死に自分たちが多数であるとか、ウェブの意見であるかのように装う。誤記ですべて説明しようとして、その説明も出来ない。
 それを恥とも思わず、私に読んでくれとトラックバックまで送ってくる。
 そして、その結論に吃驚。
 
 fig1

 fig2
 

 これは当該書・戦闘美少女の精神分析太田出版版)の281p・282pのスキャン画像です。
 よく見てください。この数ページだけでも、『戦闘美少女の精神分析』の文脈が戦闘美少女ブームを分析し、それを支持する人々を分析し、それを治療するのではないけれど、でも現代的身振りだとその分析結果を現代に限定してしまっていることは明らかでしょう。この2ページだけではなく、この結びのほとんどが戦闘美少女がメディアが発達した現代特有の現象と限定する内容となっている。
 私の批判するところは、せっかく戦闘美少女といういいテーマを分析したのに、その分析を現代に限定しているところが勿体無い、蛇足だということなんです。よくある文明批判本、よくある時代批判本になっている。実に平凡で、着眼をだいなしにしている。
 戦闘美少女であれば、もっと歴史的縦深を考えればインドにも戦いの女神はいたし、北欧神話にも有名な戦いの女神がいる。それどころか今でも有名なジャンヌダルクだっている。
 その縦深を捨ててしまっているのが蛇足だというのです。なにしろこの本では戦闘美少女をアニメの世界でしかとらえていない。アニメ化されなかったそういう神話をごっそり捨ててしまっている。
 もちろんアニメについて類例を挙げているところは力が入っている。その細密さはさすがと思う。
 しかし、アニメを特異視する内容に私は物足りなかった。
 精神分析であるならば、もっと歴史的縦深、集合的知との考察があるべきだと思った。

精神分析学 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%88%86%E6%9E%90%E5%AD%A6

 wikiの信頼性に疑問があるという向きもあるが、しかし全くはずれているわけでもないと思うし、とっかかりにはなると思うので例示しておく。
 精神分析は治療にならないし、治療にならないことは斉藤環も書いている。だが、じゃあ精神分析に意味がないかというと、治療としては役立たないし、文芸批評としても古いものであり、結局精神科医の文芸批評・時評・精神分析ごっこはそれ自身としてもう終わっている。精神分析疑似科学であるという意見もあるぐらいだ。
 だが、それでも精神分析からヒントを得ることはあるし、何よりも私は実は精神分析を全く無視はしていない。むしろ療法としての立場を離れ、思索を深める上でオカルトや歴史を学び、知性を磨く上で、過剰に入り込まず、互いを留保しあいながらの『遊びとして精神分析』はあり得ると私は思っている。
 歴史的縦深にちゃんと目を配り、人間そのものを描くのであれば、それは文芸の批評という『角』を留保して、文芸エンターテイメントになりうるのだ。
 それは斉藤環も理解していることはわかる。
 だが、だからこそ、最後にそれを現代を切り取りましたみたいにまとめたのが蛇足だと述べている。そういうことなのです。
 ま、これが蛇足でない、斉藤環は本当に戦闘美少女の時代を憂いているというのは、私としてはちょっと可哀想すぎると思うんですけどね。あれだけ分析して、こんな結語で、それが本当に言いたいことだなんて言ったら、斉藤環も可哀想な人ということになってしまう。そうじゃないでしょう。
 
 つまり、この程度の文章も読めない人々が、私になんとかカマッテもらおうと必死になっているのです。
 はなはだ迷惑なことですが、これも有名税なんでしょうね。ちゃんと読んでくれる人は十万のオーダーでいるんですが、そうなると1パーセントでも1000人いるわけで、そういう人々が必死になればウェブ上でいくらでも多数を装えるのです。1000人が一斉に書き込めば2ちゃんのスレは一瞬で消費できる。
 ウェブなんてまだその程度の段階なんです。
 だから政治に関するウェブ投票が現実の投票結果に結びつかない。そのうえ、ぜんぜんウェブというのは異質な空間で、常識も減ったくれもない便所の落書きだと言われてしまう。
 こういう馬鹿どものバカ騒ぎが、ウェブという世界を異質な空間にし、コメントスクラムとか炎上とかいったものをつくり、人間のもっているもっとも恥ずべき部分を露見させる。
 絶望した! バカばっかりのWebに絶望した! と言われても仕方がない状況を、この人たちは自ら作り出している。
 
 
 しかし、私はプログレッシブSF作家として、未来をディストピアと思いたくないし、ディストピアを最後に持ってくる作家を、いくら売れて、いくら稼いでいても、私は認めない。
 なぜなら作品というものは、読者をちゃんと喜ばせるために心を尽くすべきであって、その心を尽くす中で絶望は常にあっても、それを作家としての力で押し返すべきだと思っているのです。
 ディストピアなんて小説で書くまでもない。現実はもうすでにディストピアです。
 でも、未来はそうではないと思いたい。それが今を生きて、今理想に向けて働く人々の立場でしょう。ディストピアなんてわざわざ作家が書くまでもないことなのです。
 実は、私はそれを何度も感じている。疲れていると、ディストピアにしてしまおうかと思ってしまう。でも、それではいけないと必死に力を入れ直す。なんとか納得のいく世界を、落ちを付けようとする。それが作家の仕事、自分の仕事だと思っているのです。
 もう職業としてのテキスト作家は滅亡するでしょう。詩人が詩以外の収入で暮らすしかないように、テキストなんて誰でも書ける時代になりました。
 だから、可哀想な日本語を読めない人々が嫉妬するのです。自分も書いていると。でも、自分は書いているのに評価されないと憤るのです。そして、私程度のちょっとした幸運でちょっと小説を書き、たまたまそれが美味しいところを書いてしまったので、悔しくてたまらないので、必死になって批判する。自分だったらもっと描けると思っている。いや、自分こそ私より、米田淳一より評価され、注目をされるべきだ、そうでない世界がおかしい、とサイトを作るのです。
 でも、結局読んでいないのです。なぜなら、活字を読んでいても、言語というものの大事な歴史的背景と、文脈を理解できないのです。残念ながらそれだけの頭がないのです。
 だから、かみつきやすい誤記とか引用の間違いにかみつく。
 でも、かみついたところで、どこがどう意味的に違うのかも書けない。
 理解できていないんだろう、としかいえない。
 要するにその程度の人々なのです。


 私はプログレッシブSFを名乗ることにしました。それはたいした構えでもないのですが、とりあえず安直なディストピアSFはやめよう、ということです。それは一貫して初代講談社版プリンセス・プラスティック以前から私は書き続けています。


 いつものようにスルーしようと思ったのですが、とうとう調子ぶっこいてトラックバックまで送ってきた。可哀想すぎるので、ここだけかまってあげることにしました。
 まあ、恥を知らない人たちなので、またぐちゃぐちゃ書くでしょう。言い訳とか、論点ずらしとか、さんざんやるでしょう。そして、自分の境遇を変えられるのは自分だけであることを棚に上げて、私を攻撃するのでしょう。自分の不幸を、頭が足りないと言う不幸を私のせいにするのです。いつものように。
 普通の人なら、この状況が異常であることはわかると思います。
 そういうことです。異常な状態ですが、特に気になさらず。彼らはああいうバカですから、スルーしてやってください。何とも痛ましい人々ですから。
 わざわざおかしいよと言ってあげる必要はありません。
 ひどい状態ですが、あれはあれで、彼らの努力の成果なのです。
 あまりにも可哀想なので、だからスルーしてきたのですが。私もスルー力がちょっと不足しているのかな。