童貞集2販売準備

 してます。
 今回もりだくさん。前回あげたままにしていた作品がありましたが、今回はすべて未発表作。
 ユキさん作の表紙画像jpg添付。
 諸経費込みで200円の頒価を予定してます。
 はっきり言ってお買い得感では画期的ですよ。ブックオフ対抗価格。

『童貞集 弐』 内容紹介
ウォーターフォール060619.txt
 とある女性に差し上げた作品。映画『マトリックス』の弾よけのリクツを考えて、自分なりの解として出しました。このリクツがどんどん拡張してアメノミナカ世界観につながります。そのきっかけとなった記念碑的作品です。やっぱり頭のいい人とお話しすると触発されますね。62.7枚。
■エクスプレスのソムリエ060619.txt
 故・山田正弘先生(ウルトラQの作者)と京葉線ホームから出る特急『さざなみ』で千葉県保田に遊びに行くとき、待ち合わせのホームに降りる途中のエキナカ(当時この表現はなかった)のカフェテリアで描いた作品。思いつき一発でさくっと行ったけど、でも渋い。タイムスタンプは2002年。20.8枚。
■ダブルブッキング060619.txt
 高校の図書委員会時代を思い出して、それと江ノ電沿線風景を混ぜて描いた作品。正確にはこれを描いたときにはユキさんと結ばれていました。童貞からの旅立ちの作品。
 53.9枚
■ベッドの上のミレニアム060619.txt
 涼元悠一さんに読んでもらって、『こんなの描いてもどうにもならないよ』と言われ、今見るとそうだなあと思う作品。でも、こんな世界、田中ユタカ的世界も好きです。ということではずせなかった作品。シンデレラエクスプレスの時代に描いたとご理解いただければありがたいです。1999年7月30日の夜の出来事。38.2枚。
■輝きの終章060619.txt
 小倉で初めて同人誌イベントに参加したときに描いた作品。けっこう鋭い出版業界批判があったんだけど、今じゃ常識となってしまいました。ちょっと時機を逸したかな。タイムスタンプは2002年9月。叡電沿線の話。26.2枚。
■秋夜物語060619.txt
 小田急厚木駅が舞台。sakusakuで『ホントの厚木は本厚木、厚木で降りるとびびるべ』と歌われた小さな厚木駅の様子を描いた作品。これも田中ユタカ的世界。34.1枚。
■鬱の風景060619.txt
 タイムスタンプは現在見ると2099年2月(!)。正確には96年頃に描いた人生で完結した初めての小説。一番童貞のにおいの強い小品。あのころ愛川町からお茶の水まで通学していたなあ。精神科入院時に描いた。すこし言葉のサラダっぽくなりかけを踏みとどまっているところがキモ。統合失調症と診断される寸前の時期、精神的な追い詰まり方がツボ。7.2枚
 
 合計243.1枚。もう少しで販売開始です。

感謝

 綾瀬をお買い求めの方で、綾瀬の写真を加工なさってくれる方がいる。
 非常にありがたいのでアップロードしておきます。


 すばらしい! 艦船モエの心の分かっている絵に感激してます。
 うれしいよなあ。
 こう言うことがあるから、まだあきらめられないんだよなあ。

バカな季節と『ペーパーA列車で行こう』

 生きていれば、どんな人でも成長の過程でバカをやった一時期があるのではないかと思う。
 私の場合、それが特に高校卒業ごろにひどかった。なにしろ文芸部、生物部、鉄道研究部と部活を三つも掛け持ちし、それぞれに関心の向いた時だけ参加していたのだ。文芸部ではなんと部長だったのにバックレていたから、ずいぶん迷惑をかけたなとすまない限りである。
 今思えばバカな時代だった。受験生でもあったのに授業はサボりまくって、授業についていけないし、着いていく気もなかった化学の授業ではその上特にひどかった。
 本当は受験には物理を使いたかったし、物理という勉強自身がモノスゴク性に合っている気がしていたのだが、物理の先生が足りないということで化学のクラスに押し込まれてしまった。
 そういう授業の時、私はノートに絵を描いて内職というか、暇つぶしをしていた。今見ると、戦艦の絵とか、原子炉の断面図、2階建てグリーン車の図解など、まさにナニが本業か分からないものをシャーペンで書きまくっていた。今でもそんな落書きのあるノートが今出てきて、血が沸騰するほど恥ずかしくなったりする。
 とくにそういった絵のテーマが決まらない時は、鉛筆鉄道ごっこ、『ペーパーA列車で行こう』をして遊んだものである。
 この鉛筆鉄道ごっことは。
 まず。鉛筆で線を書く。
 それが線路である。線路だと見立てるのである。日本の鉄道初期のコッペルのような小さな蒸気機関車とダブルルーフの客車が走ると見立てるのである。
 その線の終わりにT字に車止めを書き、その脇に線に沿った長方形でホームを書く。
 それで鉄道開業を想定するのだ。
 そして、線を増やし、架空の鉄道駅の発展史をノートに描くのである。
 機回し線を書き、ここまできた列車が折り返せるようにする。
 そして、ホームを増設する。駅舎も書くとなお良い。
 機関区を作ってみたりする。ターンテーブルや、扇形機関庫を書くのも渋い趣味である。
 そして本線をついに複線化する。
 そういった鉄道施設の改築の時はもとの施設を消しゴムで消すのだが、どのように仮駅舎や仮線で営業を続けながらやるかを計画するのを忘れてはならない。ただ消して付け直すのではなく、仮線を作り、一気に切り替えるのがコツである。何よりも架空の鉄道路線史であるだけに、過程を存分に楽しむことが重要である。
 支線ができたり、貨物駅を開業したりする。
 そのうち、支線も複線化し、貨物駅も本格的なヤードになっていく。
 そして、環状線ができ、駅はホームが6本も並ぶ中枢駅になっていく。車止めは取り外され、線路は更に先に延びる。線路も複線の線路が3方面ぐらいに延びる。
 ここで、私鉄が駅を開業するのだ。本線は国鉄風味にしたいので、私鉄は本線に沿って延びて、途中で相鉄線西横浜のように短い駅間の駅があるのが望ましい。あるいは小田急線南新宿のようにするのも渋い。その場合は私鉄の社屋も書いておくとなおいい。
 こうなってくるとノートの上はほぼ一杯である。
 で、こう言う時に、先生が声をかけてくる。当然、授業をサボっているわけでしどろもどろになるが、その程度でへこたれていてはペーパーA列車で行こうの道は遠い。まだまだ続くのである。
 きっちり50分間をかけ、私鉄は地下鉄に乗り入れ、貨物駅は撤去されて今の汐留のように再開発され、また総武−横須賀線のような地下駅、さらには京葉線のようなちょっと離れた地下駅と長いコンコース、さらには地下鉄までもできるところまで行って50分である。
 私にとっては実に有意義な50分であるが、まったく穀潰しなバカな行いである。
 まあ、それでもあれから10余年生きて、しかも小説を発表して結婚までできたのだから、つくづく私は果報者だなあと感じるのである。