バカな季節と『ペーパーA列車で行こう』

 生きていれば、どんな人でも成長の過程でバカをやった一時期があるのではないかと思う。
 私の場合、それが特に高校卒業ごろにひどかった。なにしろ文芸部、生物部、鉄道研究部と部活を三つも掛け持ちし、それぞれに関心の向いた時だけ参加していたのだ。文芸部ではなんと部長だったのにバックレていたから、ずいぶん迷惑をかけたなとすまない限りである。
 今思えばバカな時代だった。受験生でもあったのに授業はサボりまくって、授業についていけないし、着いていく気もなかった化学の授業ではその上特にひどかった。
 本当は受験には物理を使いたかったし、物理という勉強自身がモノスゴク性に合っている気がしていたのだが、物理の先生が足りないということで化学のクラスに押し込まれてしまった。
 そういう授業の時、私はノートに絵を描いて内職というか、暇つぶしをしていた。今見ると、戦艦の絵とか、原子炉の断面図、2階建てグリーン車の図解など、まさにナニが本業か分からないものをシャーペンで書きまくっていた。今でもそんな落書きのあるノートが今出てきて、血が沸騰するほど恥ずかしくなったりする。
 とくにそういった絵のテーマが決まらない時は、鉛筆鉄道ごっこ、『ペーパーA列車で行こう』をして遊んだものである。
 この鉛筆鉄道ごっことは。
 まず。鉛筆で線を書く。
 それが線路である。線路だと見立てるのである。日本の鉄道初期のコッペルのような小さな蒸気機関車とダブルルーフの客車が走ると見立てるのである。
 その線の終わりにT字に車止めを書き、その脇に線に沿った長方形でホームを書く。
 それで鉄道開業を想定するのだ。
 そして、線を増やし、架空の鉄道駅の発展史をノートに描くのである。
 機回し線を書き、ここまできた列車が折り返せるようにする。
 そして、ホームを増設する。駅舎も書くとなお良い。
 機関区を作ってみたりする。ターンテーブルや、扇形機関庫を書くのも渋い趣味である。
 そして本線をついに複線化する。
 そういった鉄道施設の改築の時はもとの施設を消しゴムで消すのだが、どのように仮駅舎や仮線で営業を続けながらやるかを計画するのを忘れてはならない。ただ消して付け直すのではなく、仮線を作り、一気に切り替えるのがコツである。何よりも架空の鉄道路線史であるだけに、過程を存分に楽しむことが重要である。
 支線ができたり、貨物駅を開業したりする。
 そのうち、支線も複線化し、貨物駅も本格的なヤードになっていく。
 そして、環状線ができ、駅はホームが6本も並ぶ中枢駅になっていく。車止めは取り外され、線路は更に先に延びる。線路も複線の線路が3方面ぐらいに延びる。
 ここで、私鉄が駅を開業するのだ。本線は国鉄風味にしたいので、私鉄は本線に沿って延びて、途中で相鉄線西横浜のように短い駅間の駅があるのが望ましい。あるいは小田急線南新宿のようにするのも渋い。その場合は私鉄の社屋も書いておくとなおいい。
 こうなってくるとノートの上はほぼ一杯である。
 で、こう言う時に、先生が声をかけてくる。当然、授業をサボっているわけでしどろもどろになるが、その程度でへこたれていてはペーパーA列車で行こうの道は遠い。まだまだ続くのである。
 きっちり50分間をかけ、私鉄は地下鉄に乗り入れ、貨物駅は撤去されて今の汐留のように再開発され、また総武−横須賀線のような地下駅、さらには京葉線のようなちょっと離れた地下駅と長いコンコース、さらには地下鉄までもできるところまで行って50分である。
 私にとっては実に有意義な50分であるが、まったく穀潰しなバカな行いである。
 まあ、それでもあれから10余年生きて、しかも小説を発表して結婚までできたのだから、つくづく私は果報者だなあと感じるのである。