Mine bluE#00がほしい。

 つか、吉崎観音さん大当たりだなと思う。特にMine bluE#00は私も思わず欲しくなってしまう。高いのでなかなか難しいが、でも魅力的。
 実はガンダムオペレーターは連邦とジオン両方買ってユキさんブースと私ブースに分けて安置している。使徒XXも実は買ってるし。

『突入せよ! あさま山荘事件』

 一度観たのだが、じっくり観たくなって観た。
 wikipediaには佐々淳行はあんなに活躍していないなんて描かれているけど、でも長野県警のヘタレぶりは本当だったらしい。なんか言われっぱなしじゃいやだと佐々淳行は軽井沢署で麻雀してばっかりだったなんて描かれているが、ホンマかいな。
 佐々淳行の話を聞くと、当時やそれ以降も、まともな警備経験のない県警というのはあったらしく、よその県の警備計画を観ることになって、警備車両300両をどこに留めるんだと聞くと『路駐しますから』なんてのもあったらしいし(300両路上駐車させたら道路が使えなくなるだろうが)、当然書き直させたら300両ぴっちり碁盤目に升目描いて止めることにしていて、警備車両は真上に動ける訳じゃないんだからちゃんと切り返しをする余裕とか通路とか作れとやり直させたりと、まあ推して知るべしな事も多かったようだ。
 しかしすっかり誰が監督だったか忘れて観たんだけど、『金融腐食列島・呪縛』と演出とか全部同じだなと思ったら同じ監督、原田眞人さんだった。さすが個性である。
 男男男、ひたすら男ばっかりの映画でありながら時折入る女性が繊細で、なおかつ男同士の台詞回しや口論シーンとかまさしく私もこうありたいなと思うテイスト。
 『呪縛』も好きだけど、これも初見はかなり昔だがこうやって検討しながら観るとやっぱり良いわと思う。こういうテイスト大好き。
 といいつつ、ユキさんと話をしていたらユキさんの最近の読書の話になり、別の売り方をしてはどうだという話になる。いや、確かにその路線はまだ消えていないハズなんだけどね。やれなくもないんだけどね。許してもらえるかな。元々の権利は今年年末に戻ってくるし、テイストを上手く調整すればできるかも。

頭の中の鶏を個人で飼っている人もいるようです。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070109/p2

 どうも本当に頭の中で鶏を飼っている人がいるようだ。
 だから、相手は賊なんだから、本来国際法としては極刑が当たり前なのだといっているのがなぜ分からない。
 第一当時の中国は国民党と共産党が争う内戦状態の上に匪賊馬賊がいたまさに無法状態であり、それを捕まえて捕虜にするだけでも寛大な措置なのに、よりによって民間人扱いしろとこの方はおっしゃっている。どうかしている。
 で、関東軍の捕虜政策が研究に値する事項だと語っている。
 馬鹿も休み休み言って欲しいものだ。
 我々が知りたいことは事実であって、法的に云々という憲法9条馬鹿みたいなお題目の話をしているのではない。その当時どうであったかが唯一の関心で、正当な歴史認識をなんて言い出したのは第一に中共の言いがかりではないか。
 その言いがかりに謝れば何でもいいやと商売をしたいがためにとりあえず認めちゃえと認めた河野洋平とかのとんでもない商売政治屋と我利我利亡者の経済人が真に受けただけだ。
 歴史屋さんはそれぞれにやってくれればいい。だが、分を守って欲しい。我々が知るべき事実ではない作文はチラシの裏に書いて欲しい。
 歴史認識は誰しもそれぞれ一人一人持つものだ。だがしかし、事実は一つだけだ。まして、真実はさらに厳しく、神様しか知らないことだ。そこで歴史認識を云々というのは『ボクチンはこう思ったからおまえたちもそう思わないとおかしいんだ、世の中間違っているんだ』という幼児病なのだ。他人コントローラーというか。
 事実がどうであったかは当時の人々は今の平気で歴史認識を政治利用する人々より慎ましいから言って来なかったし、言う人は中共で発明された洗脳技術のせいか、どうしてもあり得ないことまで言って中共の味方をさせられたのだ。
 まったく、だいたい600ページの歴史書になるほどの争点と言うが、そうしている自身でまったくの政治マター、政治的な作文ではないか。そんなものに正当な歴史の評価などあるわけがない。
 真実は一番強い。だからこそ、嘘を言う側は真実に少しでも抵抗しようと嘘に嘘を重ねて枚数を増やす。何千万枚日本が非道だと描いても、我々の祖父たちが感じ、思い、苦しんできたことは一つだけで、それには勝てないのだ。
 ウソを言い、言いくるめるから金になるし、言いくるめようと枚数を増やす。そして、言いくるめるために徒党を組んでウソを言う。なんとかしてつけこもうとする。
 向こう、このニワトリの人はコメント欄があまりにも哀れなのでこちらからはトラックバックだけしておくが、もう頭の中で鶏を飼っているの域だろう。
 なぜそんなに自分の祖父たちが非道で人でなしだといいたいのか。
 確かに悪いヤツはいた。しかし、今の世の中と同様、ほとんどはまともだったのだ。確かに戦争だから行きすぎはあっただろう。戦場とは人が人で無くなることのある、平常とは違う恐ろしい場所だ。
 だが、祖父とその戦友たちはそれでも我々の祖母や父母を守るためと思って、恐怖と勇気のなかで戦って、死んだり飢えたり病んだりして、それでも我々に命を継いできたのだ。
 それをなぜそう悪し様に言えるのか。これは頭の中で鶏を飼っている域だろう。まあ、イデオロギーの末路なんて悲しいものだが。
 それと、当時もまともな大人であれば第1次世界大戦時の青島で捕まえたドイツ人捕虜への日本の扱いを覚えていたはずだ。まあ、戦争当時4歳とか3歳とかで戦争経験者などという人々もいるから呆れるが、当時の日本は日露戦争の頃からちゃんと捕虜というものを常識として知っていたのは自明であろう。戦陣訓ばかり言われるが、第1次世界大戦の頃は捕虜になることを『外国に遊学に行きたることと思うべし』という人々もいた。
 頭の中のニワトリの人たちは、そういう歴史的連続性、文脈を考えずに資料と称する出所の怪しい文章と中共に影響されたとしか思えないつじつまの合わない当時の戦争体験者と、当時4歳だの3歳だのだった自称戦争経験者だけで歴史を作るからおかしい。
 連続性のない歴史は歴史ではない。いくら条文を引っ張り出してきてもどれも論理的につながっていない。曲学阿世とはまさにこのことである。