今更ながらFF-X-2のサムさ

 いや、これで良いという人たちがいるんだろうけどさ、私には縁遠そうだ。
 私たちは昔買った安物TVと損切り価格で叩き売られていたブラウン管TVを使ってテレビニュースを流しながらユキさんはゲームだけど、傍らでやってるX-2がサムイのなんのって。
 小説とか本の業界だと、『解体新著』で世の中当たり前のことが当たり前でなくなって行く嘆きが言われていた。
 最低限、担保となるべき知識があるだろうが。政治とか文化とか商業とかさ、旅の楽しみとかさ、そういうのがRPGの楽しみだったじゃんか。
 昔は同じRPGでも、背景を考えてプレイしていたよ。あのころは応答されるメッセージの少ないテキストながら、ゲームとして演出されるものに感じ入っていたよ。
 それに、テーブルトークRPGでも、ゲームマスターとしてやりやすい水戸黄門シナリオに不満を持って、それぞれ何とかしようとあのころの仲間はみなそう動いたし、結局私は戦記でSFするようになったんだよ。
 それが『お助け団』じゃねーよ。ガキの遊びだ。それに何もアメリカ映画の駄目なところまで継承しなくたっていいじゃん。あーあ。
 その点シルフィードMDCDの出来の良さが対比になってツライ。あのころはゲームって頭を使い、想像力を使うものだった。一つの出来事の背景をちゃんと考えてた。
 だって、2Dのスプライト1個のキャラを動かすドラクエレベルだってさ、キャラが死んだら、素っ気ない演出であっても、素っ気ないグラフィックでもさ、つらいよなと想像して心を動かしていたよ。私の中学高校のころはそうだった。
 で、いい時代だったからさ、学校に行くとその話がちゃんとできる友達がいたんだよ。
 某18時にやってるみんなが種種言ってるアニメとか、ツライ。でもそれで良しとする人がいるからなあ。『……』を目一杯使う本とかさ。センスの違いなんだろうけどなあ。
 こういうセンスを危ぶむと、ブーメラン効果で私のセンスを疑っちゃうからなあ。


 ウツにならんように原稿書きに集中しよう。