女性史なき女性運動家の連携

 疲労がひどくてごろ寝を交えつつ本を整理。
 夕刊が届く。三谷幸喜さんのコラムが好き。
 三谷さんはいつも通りなので、これのために朝日夕刊買っているなあと思う。
 ところがその次の面あたりでなんだかヘンに喧嘩を売ってくるコラム。誰だこのヘンなのと思ったら上野千鶴子だった。香山リカの「ぷちナショ」まで持ち込んでくるあたり、あっち系の連携は実在するんだな。
 つか、上野『歴史を越える伝統など存在しない』なんて言っている時点で今時の東大教授もずいぶん喧嘩が下手くそになったというか、東大教授も記憶力減退なのかなと思う。
 じゃあ、女性の歴史、『女性史は可能か』という本で女性史の存在しない状態での女性の歴史の歴史、その先の伝統や家父長制を問いただす本があるのにスルーか。今時のフェミニストも目出度いなあ。まあ、これも男性社会が女性に対して寛容になって女性の権利と女性のワガママを区別できなくなっている現状かもしれない。

女性史は可能か

女性史は可能か

 つか、今フェミニストが戦うべき相手は企業のパート雇用制度を利用したピンハネ構造、たとえば試験任用として低時給で働かせながら現実に誰もクリアできないノルマを押しつけて解雇し、さらに試験任用のバイトで現場をしのぐという、今のパートタイマー・フリーター任用の実態があるだろ。
 ここらへん、安ければパートやバイトや外注や中国でいいやという企業のポリシーの甘さがいずれ、じゃあ企業自身も中国でいいやと元請けが判断したら企業倒産だろうが。
 働く人を育てない企業は交換可能なピースに堕落するし、そういう経済の改善がなければ子供と母・父の三角関係を作り、守ることもできない。
 それに少子高齢化対策、特に働くお母さんの支援プログラムとして公と民が連携した教育・育児システムの拡充をしていかねばならず、その点でこれからの家族のあり方を性急で攻撃的なフェミニズムでもなく『昔は良かった』でもない第3の『家族学』のようなものを作っていかねばならないのに、結局上野千鶴子はあっち系の立場でギャアギャア言うだけだもんな。
 男の悪口、男性社会の悪口さえ言っていればヨシのフェミニズムなんか、本当に社会に関与していく女性の足を引っ張っているだけだよ。つか、世の中既に男性社会ですらない。最低限のモラルもなくなり、コンプライアンスなんて言葉が必要なほど企業は企業精神もプライドもズタズタになくなっているもんな。
 そういや伊豆半島のあの私鉄は女性電車運転士をドンドン採用するけどドンドン退職させていたっけ。中規模私鉄って大手よりも更に官僚的なのだろう。
 なんだか暗澹たる気持ちがしていたけど、まあこの程度でやっている人もいるんだなと思うと、すこし気が楽になった。
 未だ私には描くべきことがあるのかも知れない。