次期戦闘機を巡る日米関係

 情報源がなくなったので、私の推測なんだけど、もうラプターで決まりと見たい。
 というか、ラプターじゃなきゃイヤイヤ。いや、高すぎるとか言ってる連中いるけど、じゃああんたたちの言う安い戦闘機何機分の性能をラプターが持っているか考えてごらん。自明であろう。ラプター140億円とはいえDACTで15機のF−15と2機のラプターで模擬戦をやったらF−15は全滅、ラプターは無傷なんて聞くと、いくらなんでも数でラプター分を揃えるために20〜30億円で次期戦闘機というのは安易すぎる。それにラプター級の戦闘機が敵方に現れた場合、その敵機を撃ち落とすために何人パイロットを失うことになるのか考えれば自明だろう。まあ、中には軍オタを標榜しながら中身は『(自衛官と警察官は)死ぬのが仕事ですから』と言ってのけた福島瑞穂と中身が同じ連中もいる。
 それと、日本の国防ということを言う人はいるけど、それ以上に日米安保で守っている日米の防衛と考える必要がある。地政学的にアメリカが完全に太平洋を半分でいいやと思うのならラファールだろうがグリペンだろうが良いと思うだろう。
 だが、アメリカは日本を失えないのだ。となると、自前のラプターだけではアメリカの台所が苦しいし、じゃあお金持ちの日本にも買ってもらって生産ラインを維持し、情勢がかわったらそのラインで米軍向けを復活増産、なんて算段もあるだろう。
 F-18なんてのは愚の骨頂。こんなもん買うのは売国奴である。経済性と言うが、戦争に負けるという経済的損失がどれだけのものか、太平洋戦争で負けても未だ分からないのか。周りには日本と戦争したい国、特定アジアがガンガン兵器を買っている状態で、たかだか140億円ではないか。国民一人当たり140円だよ。防衛費を減らして福祉になんて馬鹿もいるが、一人140円戻してどういう福祉に役立てるというのだ?
 それよりも氾地球的な防衛網を持つアメリカとの関係を強固にし、民主主義のない中国、事後法でも平気な韓国、論外の犯罪国家北朝鮮に決して敗北することのない防衛を確立してこそ、経済も福祉も安心してやっていけるというものだろう。ラプターはもっと高く売られると思ったら、私としてはなんかずいぶん日本も値切ったなあと言う感じ。
 アメリカはそんな凄いものは売らない、という向きもあるが、かつてP−2Vをアメリカは日本に売った。このP−2は単なる哨戒機だと思って甘く見ているかもしれないが、当時航続性能も対潜水艦性能も画期的な進歩を見せた最新鋭機だった。ジェジベル戦とか調べれば分かるだろうけど、原子力潜水艦時代となった当時、高性能化した潜水艦に対処することは海洋日本としては防衛力の必要な切迫した分野だった。特にP−2Vは、建造されながら使われることはなかったが、護衛艦わかば〉などとデータリンクし、P−2の捜索レーダーの情報と護衛艦のレーダー情報を統合して哨戒するという機能すらあったのだ。
 電子装備の充実したP−2Vは次々と当時のソ連潜水艦を追いつめ、にらみを利かせ、さらにP−2の機体構造を継承したP−2Jに発展、P−3C導入まで日本は完全にウラジオストクを押さえ込み、日米安保核の傘だけでなく、現実的な通常戦力の対潜戦でも連係して機能し、両国の平和を守ったのだ。
 アメリカは馬鹿なことを言うけど、でもそれはアメリカ式の交渉というモノじゃないかと最近思う。馬鹿なことをふっかけてくるけど、この馬鹿!と日本がしっかりいうと、アメリカもふっかけながらも『まあまあそこはなんとか』と別ルートで改善策を考える。そこで日本は経済性をきっちりと追求しながらやってきた国である。名を捨て実をとるで戦後やってきたし、アメリカも名さえ取れればその結果が実を取られても大統領が替われば別の政府の国なので、大統領交代で手のひらがえしもできるし、それにアメリカの求める名なんて小さなモノである。日本は2000年、アメリカは200年である。その歴史の差で、アメリカはアメリカンな薄っぺらな主張をすることもあるが、それには薄っぺらな花を持たせてやれば満足する程度のものだ。
 特に米軍は、研究すればするほど、改めることを恐れないアメリカの国風が徹底していると思う。日本海軍は昭和では伝統にこだわって、その次に改革しようとしたが提督の年功序列を改めることはできなかった。しかし米海軍は確執がありながら、改革は徹底していた。
 特に太平洋戦争では、日本人だから日本海軍を贔屓したいのだが、米海軍の立場で見れば、太平洋ではなんともスターウォーズ的な大冒険なのである。8隻の正規空母を擁する日本海軍にたった2隻の空母、それも1隻はハワイへの飛行機輸送にしか使えず、一隻で八隻と戦ったのだ。2隻だろ?と思う人もいるかもしれないが、その2隻は1隻ずつで動いて巧みに連携したのだ。
 しかも日本海軍は弱かったみたいに言うが、米軍も始めは大変だった。それを冒険心と勇気で乗り超えたのだ。攻撃隊が日本空母を攻撃し、夜間帰還しようとしたところ機位を失い、全滅すると思われた時、日本海軍にも察知されるのを覚悟して全ての明かりを煌々と照らして攻撃隊を呼び戻して収容したなどと、米軍は物量だけではないのだ。物量で言えば、ガダルカナルの本格的な攻防まで、米軍も苦しい台所だったのだ。
 アメリカは今、イラクで戦い、アフガンで戦い、イスラエルを支援している。ユニラテラリズムなどと呼ばれる政策や、新たな帝国などと言う日本文化人もいる。
 だが、ここで日本が大事なことは、そういった問題にあとから首を突っ込んで義だの大義だのといって実利を見失うことなく、戦国時代の徳川家康のように、信長の苛烈さを見ながら、その実質を取るべく堪えることなのだ。多少名誉が傷つこうとも、それは日本の経てきた歴史から見ればたいしたことではない。
 アメリカには耐えられない不名誉も、歴史のある日本には耐えられる。軽挙妄動することなく、じっくりと堪え、励むのだ。そうすれば、その姿に心打たれるアメリカ人も決していないわけではないのだから。