煮え煮えです

 というわけで、締切間際なんだけど頭が固着しているのでそれを取るために新作に着工することにしました。いや、もうずっと昔に脱稿していて、私自身の中で確定性ができていていじれないのと、こういうの
 http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20050118301.html
 とかあるので、足踏みは止めようと。
 いろいろな小説について勉強してきたけど、小説のための小説を書きたかったのだろうかと自問してしまった。確かに小説の技術はある。でも、それを極めることは私の目標ではなかったはず。私の伝えたいイメージと世界があって、それを伝えることのためにメディアとしての小説を使ったのだから、小説であるためだけの小説を目指す方向は私の方向じゃない気がする。
 第一、小説について研究しても袋小路だし、第一小説を研究している人たちを見ていると、技術としては良くても肝心な物語としての広がりとか厚みとかないのに、技術云々と言っている傾向が見受けられる。
 もちろんその逆で、もう少し丁寧に書こうよと思う人たちもいる。私が大事なことは、両方にケンカを売ることではなく、私の書きたいもの、描きたい世界、描きたい思想を描くことだ。いくらアイディアが勿体無いと言われてももうどうでもいい。どうせ小説のアイディアなど特許が取れるわけでもないし、取れたとしたところでなんの意味がある。それよりも、私の見聞きしたもの、考えたものを提出することであって、アイディアの出し惜しみなんかしてる場合じゃないと思う。
 勿体無くて良いのである。誰かが使ってくれればいい。私はその点、鉄道模型で言えばKATOでもTOMIXでもなく、GreenMaxやタヴァサとか朗堂で良いのだ。大手メーカーがやったほうが上手く行くかも知れないけど、自分は自分の作りたいものを作る。別にタヴァサとか朗堂が売れなくて店が潰れたなんて話は聞かない。そう言った会社が売れまくって社員が豪遊しているとも聞かない。だが、好きな人はいる。よくやってくれたと感心してくれる人もいる。
 それで良いんだと思う。もちろん表現の幅を広げることは大事だし、まだまだ勉強せねばならない技術はある。
 だが、小説としてだけの価値を高めることに、もう私は限界が近いのかもしれない。小説のアイディアとそれによって導かれる世界、そういうものを追求する中で得られる小説技術は貪欲に求めたいけど、小説の棚の中だけで競っても私には勝ち目はない。
 自分の不得意なところをカバーすることはしても、なにも不得意なところを得意な人たちなみに強化するのは時間的にも無理だ。得意な人たちは彼らで日々研鑽しているのだ。追いつけるわけがない。
 私は、私の小説を書こうと思う。