浮ついた野党内交代劇

 が民主党にはあるようだ。旧党と言えば横路を中心とする社会党である。こいつらはどうしようもないと思ったが、小沢もPKOや国連軍へ参加する別組織論など言っている段階で菅・小沢の二人とも役立たずであることは明白だ。
 だが、ポスト小泉の政局がまったく読めない。小泉豪運でここまできたが、人気通り安倍官房長官が総理になったとしても、まだ軽量感は否めない。もうちょっと政界の飯を食ってからという感じはある。安倍に見える線の細さが危惧されるのだ。
 もちろん内心としては安倍に総理をと言うのは分かりやすい。
 だが、思惑通り行くかどうか。
 実は、行って欲しいけどなあ。
 安倍がなぜ総理としての重量感がつかないかというと、余りにも野党が馬鹿だからである。
 予算委員会は結局永田メールの追及と逆追及で時間を空費した。そのオール与党の今、官界はだらけきっている。PSE法なんてものが腰砕けになっているのがまさしくその象徴である。
 今後官界を引き締めるに値する野党が登場しないと、安倍総理待望はわかるものの、安倍総理の後まで見据えて考えると、前途の多難さにため息をつきたくなる。
 小泉政権の功績は橋本派の解体と挙げる向きもあるが、派閥にはいい効果もあった。
 まず派閥として意見が集約されるわけで、その派閥を見れば自民党の内部での権力争いがどうなっているか、ある程度分かったのだが、今は小泉人気におんぶに抱っこで官僚が内閣府を動かして明らかに腰ダメとしか思えない雑な法案を次々と提出している。
 それを追及すべき民主党がこのていたらく。
 これでは先行きに希望が見えない。
 もしかしたら、9・11郵政選挙の結果は、小泉を利するだけのはずが、そういうだらけた官僚に白紙委任状を渡したことになってしまったのではないか。
 本来民主党は情けない売国政党であっても、仮にも選挙で選ばれた代議士である。それ相応の国家観、哲学がなければいけないのだが、永田議員は東大を出て大蔵省に行っても結局は懲罰動議を何回も受け、下卑たヤジを飛ばすことしかできなかった。そのとどのつまりがあのあまりにもお粗末なメール疑惑である。
 小泉は悪くないと私は思う。ただ、小泉の人気に正面からぶつかろうという前党首前原以下の策のなさが本当に情けなかった。
 このだらけた空気では北朝鮮危機があっても情けない結果に終わりかねない。
 そうなればその危機を脱するべく総理にまた豪運小泉再待望論が出るだろう。
 結果、安倍が尻ぬぐいの短期政権で終わってしまう。


 これではよくない。
 民主党の駄目なところは、国民が見えていないところである。大橋巨泉なんかに煽られて単なる野次小馬鹿政党になってしまった。
 それでも国民が一票を、あえて小泉人気があそこまであっても民主党に投じたのだ。
 その責任感がないところが民主党の混迷と、小泉無風政権につながり、私としてはその後に来るかもしれない北朝鮮危機に対応がグズグズになるのではないかと危惧する。
 特定アジアは間違いなく今後日本とリアルワールドで衝突する。とすれば、その危機の火消しを小泉再登板の救国内閣でしのぐとして、とりあえずのポスト小泉として捨て石にするのであれば福田・谷垣の目が出てくるのではないか。
 安倍はやっぱり温存しておきたい。問題は安倍がどの程度運があるかである。
 もはや国政は健全野党の存在がない今、理論ではなく、総理のキャラクターのみに依存する状態となっている。危険である。
 民主党には、負けたとはいえ一票もとれなかったのではなく、ちゃんと選挙に局地戦で勝っているところもあるのである。くだらぬマスゴミの煽りにのらず、きっちりと代案提示のできる本格野党を目指して欲しい。
 その点で小沢という男も菅という男もどちらも鼎が軽すぎる。小沢にはもう一時期のオーラがないただのひとになってしまった。
 だが、また菅では人材層の薄さが露呈してしまう。菅人気なんてものを言っていたが、菅も結局は単なる馬鹿し屋であった。同じあの菅の党首討論での浅薄な追及を見るのかと思うともうウンザリである。
 やはり小沢しかないのか。小沢はキャリアはあるものの、それが行動につながらないのが情けない。だが、政界を再び派閥均衡政治に戻すことで小泉独断政治とそれで緩みきった官界を締める意味があるかもしれない。派閥均衡にするという事は党内に野党ができるのと同じで、脇の甘い法案や事案があれば与野党の対立になる前に党内での戦いでふるい落とせる。その安全機能は昔はあったのかも知れないが、いま、族議員もろくに出てこない時代である。政策通と呼べる議員が皆無の状態である。これでは官僚の腰ダメのやりたい放題だ。
 情けない民主党党首選になったが、菅と小沢に、揺るぎない野党第一党としての自信と責任感が生まれるのを期待する国民の一人、それが私だ。まるで木の股から子供が生まれるのを願うような絶望的な願いだが。
 健全野党を目指して、ほぼ無理とは思いつつも、揚げ足取りの野党、報ステなどマスゴミ向けのポーズばかりのパフォーマンス野党ではなく、もっと地に足の着いた野党になって欲しい。


 繰り返し言う。民主党は負けたが、それでも国民の支持はゼロではない。その少ない国民の付託に応えられなければ、国民のさらなる支持どころか、民主党の解体につながるだろう。
 現政権にはまだまだ追及できる小泉人気で腰ダメでやっている脇の甘さがある。
 それは政治家への個人攻撃ではなく、政策の問題である。
 それも報ステ朝日新聞的な『審議を尽くしたとは言えない』ではなく、もっと明らかな問題点があることになぜ気付かない。
 特に福祉関連、少子高齢化関連では政府は全くの無策無能である。福祉の名の下によからぬ業者があらたな土木利権の代わりになる蜜と集っている現状がある。そういう福祉関連に勤めているフリーターも多いはず。彼らから意見集約をするのが本来の野党、それも旧労組系の得意ではないのか。
 情けない限りであるが、ホント、なんでこういう現場になると故事が思いおこせないのだろう。敵の主力に正面から向かえば勢力の小さい方は当然勝てないが、側面を、それも自らの得意な戦い方で突けば勝機もあるというものだ。
 それが旧連合の遺伝子を継ぐ野党民主党の本来の姿だろう。とくに政策だけでなく、フリーターとパートタイマーたちを労組組織化する運動をやればいいのに。
 彼らの中には劣悪な労働環境に苦しんでいる者も少なくない。そういった弱者の声を代弁するのが代議士の代の意味ではないか。
 民主党は原点に帰って弱者の組織化をすべきなのだが……時既に遅しの感はある。
 結局はどうやっても民主は無能というところに尽きるのか。情けないかぎり。
 もう民主党としての枠組みをあきらめるしかないのかもしれない。
 それでもいいと私は思う。数あわせでできた悪しきものは、どうやっても善なるものにならないのかも知れないのだ。
 石原新党なんて夕刊紙は書き立てるが、そんな派手でなくとも、20〜30代のフリーター・パート層は本当にこれから組織化すれば大きな力になると思う。
 本当に敏感な人々は、そこでポスト小泉よりも、ポスト民主党のほうに感心があるのではないか。
 有能な野党に恵まれないのも国民の不利益である。野党に票を入れなかったからこんな無能野党になったのだと言うむきもあるが、それは言い訳でしかない。
 野党の存在感はパフォーマンスではない。地道な組織作りからしか生まれないのがなぜわからないのか。頭のいい人たちがいるはずなのになあ。
 情けないかぎりだ。