エヴァンゲリヲン・序 を見る。

 今朝は防災訓練。参加するが、自由参加のAED操作講習のために待っていたら炎天下なのに消防署のお偉いさんがろくに聞き取れない音の割れるスピーカーで長演説を始めたので帰る。避難訓練で熱射病になっちゃたまらん。

 その後身体がぐちゃぐちゃに痛いので、電器店のデモ機のマッサージ椅子でマッサージ。
 背中がばりばりにいたかったのだが、マッサージ椅子、それもFUJI IRYOKIのものはマジで身体の疲労が回復する。
 いろいろな機種を試したが、このマッサージ椅子は妥協せずにFUJI IRYOKIのものを選択するのが一番。肩を包み込む肩ぐうマッサージとか、松下なども追随の動きを見せているものの、本家のものの効果には及ばない。

 回復したので、懸案だったエヴァ映画を見る。
 公開2日目にしてパンフレットはすでに売り切れ。しかも公開劇場は海老名ではTOHOはなく、ワーナーマイカルのみ。
 で、売っているグッズもビミョウに食い散らかされた後のような状態。
 エヴァをナメてるだろ、映画関係者。
 我々は『逃げちゃダメだ』の一言で一瞬にして10年前のあの熱気がよみがえるんだぞ。エヴァグッズの売れ方とかも分かってないだろ。未だに眼帯や包帯だけでアヤナミを連想するし、『あんたバカァ』とかでも反応してしまう。グッズが出れば、もうえばんげりおんという作品世界から離れているだろと思っても購入予算を考えてしまう。
 それが、映画の会社は10年前だしー、来るのはどうせオタクだけだしー、批判の連中もいたしー、みたいな感じだったんだろう。
 ホント、こういう分野の経営層は空気を読めないなあ。
 
 で、映画の内容だったが、まあ序であるということもあるけど、基本的にTVで『笑えばいいと思うよ』までを丁寧に、しかも今の技術でリファインという感じ。それでいながらTV版では後出しじゃんけんのように出したあの謎とかが前に持ってこられているし、『破』の予告ではかなり大幅な変更がある模様。
 でも、『序』とはいえ、エヴァはやっぱりすごかったんだなあ、と思う。TVで1週間ごと、しかもCFありでやっていた話が、きっちり映画サイズでいい話になっている。
 CGを使った部分も、実に効果的に世界を構築している。エントリープラグの立体構造、第三新東京市の構造、そして狙撃に入るエヴァの描写。エントリープラグ内のシンジの目からズームアウトして視点がポジトロンライフルの先端にまで移るところとか、実に効果的。
 CGを上手く使っている。違和感もないし、手抜き感もない。まさに目のごちそう。
 作戦の表示なども非常に効果的。逆算時計はデザインが微妙に変わっていたが、しかし良いデザインだった。
 NERVカードはホログラフィ印刷になってたし。あの新NERVマークはホログラフィでリンゴを書いている感じ。よい。
 特に序ということで、破綻もないし、とはいえ次にも期待できる。期待のなかにはこれでどう落ちを付けるんだろうと言う不安があることが多いが、これはもう安心して期待できる。この技術があって、この伏線なら、『破』にしても決して10年前の破れかぶれではなく、10年かけて熟成した内容になると信ずるに至るのである。
 実に良い。私もエヴァファンになるまえはラピュタファンでありジブリファンでありカリ城マニアであったのだが、作り手と受け手がちゃんと10年間過ごしたんだなあ、というある意味重厚になりがちなところを、あえてみずみずしく、澄んだ表現がされている。
 あとは夜のシーンだからといって暗すぎるよなところがあったが、コレは上映する映画館にも責任がありそうなので不問とする。
 実に楽しかった。私はエヴァ好きであるがゆえに、エヴァの世界観についてとかでいろいろ書いたこともあったけれど、でもTV版、映画版(2)ともに、今回のエヴァンゲリヲン序は良かった。
Beautiful World / Kiss & Cry

Beautiful World / Kiss & Cry

 なんか、オトナになったなあ、と印象を感じた。宇多田の歌もよい。切ないけれど、しかしジリジリするような切迫感と違った感じ。さすがである。

NEON GENESIS EVANGELION DVD-BOX ’07 EDITION

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 個人的にはTV版のエンディングが好きなのだが、あのエンディングが進むなかで、現実には映画版が進行していたのだと思う。
 そして、目指す高みに同意するのである。そして、エヴァンゲリヲンでは、一部のマニアは満足しないのも確信している。しかし、その一部マニアは求める相手を間違えているのだ。
 今の世界では、神様気取りの批評家がいる。駅の立ち食いソバが更科ソバでないと批判するような、逆にホテルのフルコースが吉牛のようにやすくないと批判するような馬鹿どもである。
 求める相手を間違えている。それは自分の思考能力の程を知らない人々である。何でも自分中心、自分が理解できなければすべてデンパみたいに言う人々である。
 だが、今、10年たって、その馬鹿どもに対処する方法もわかるようになった。
 わざわざ教えてやる必要はないのだ。フルコースを作っている人間がフルコースを398円にできないと悩んだりするのと同じであり、駅の立ち食いそば屋が手打ち麺や伊勢エビの天ぷらを提供できないと悩むのと同じなのである。
 どちらにも、それぞれファンがいる。それで十分なのだ。企画書を書くときはしばしばこういうミスマッチを要求する無能な経営サイドがいるけど、でもエヴァでは庵野監督以下、みなよくやったのだ。
 違いのわかる人々は、フルコースをフルコースとして楽しみ、駅ソバを駅ソバとして楽しみ、その上でその料理それぞれの味が分かっている。そういう人々はいる。
 そういう人々が評判にすることで、世の中では口コミが形成されていく。だが、それとともに、馬鹿どもも集まってくる。
 私はそれがまだ出来ていないし、それはたぶん一生かなわないと思う。
 でも、10年の月日で、商業出版もした。5冊のシリーズもやった。
 それで、今、自分は自主制作が一番だと思った。
 
 
 ようやく身の程を知ったのだ。
 時間がかかったけど、でも、シファとミスフィの物語も、何とかして書き続ける。
 そう思う。もっともっと勉強して、成長し続けたい。
 本当にそう思う。
 それと、補完計画で補完されようと言う馬鹿どもも多かったのにも私は内心憤っていた。
 補完されない不完全な姿こそ生きているものの真髄である。逆に、満たされないことで成長し、自己を更新し続けるという一種の遺伝子的アルゴリズムの結果であるという事も言われている。


 エヴァンゲリヲン、次もたぶん見ます。
 
 
 ついでに。あのDD51重連はよかった。
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 DE10でないところがいい。マニアを泣かせるのである。こういう積み重ねがありながら、テイストを保つ。それがエヴァのなんともいいところである。