うつうつ米田統合失調日記

 ここ数日、ちょっと不調ながら原稿をやっておりました。2つ仕上がって、ちょっと時間ができました。


たけくまメモ : 極限漫画の世界
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_5.html
 思うと、竹熊健太郎さんのところ(たけくまメモ)でやってる吾妻ひでおさんとかの極限漫画家というのもいるしなあ。
 主治医N医師は吾妻ひでおファンなので、私なんか『普通じゃん』だもの。
 省みれば自分は何から何まで小物だ。ダメだ。


 オーバードーズで9時間入院して以来、オーバードーズから回復していくときは周囲に『もう全然大丈夫』なんて言っているのに、その実自分はユキさんとかヨネ母ヨネ父ユキ母ユキ父に迷惑かけたな、結局オーバードーズした時、ユキさんに「一人で夕食食べて」と倒れながら言ったとき、決心はあったはずなのに、24時頃「救急車呼ぼうか」と言ってしまう自分がヘタレだな、とどんどん螺旋階段を下りていく。
 入院は9時間でした。今は退院して家で原稿打ってます。ユキマンガのネタ出しをしたり。


 元々オーバードーズなんかしなければ良いんだけど、ユキさんに致命的に迷惑かけたと思ったのと、そう私が思っているのにユキさんが寝込みに入って応答がなくなり、ヨネ母ヨネ叔母に電話しようにも不在、その他諸々で惑星直列並みの不運が重なったわけで、私としてはどうすれば事態を回避できたか全く分からない。
 ノーコメント、ノートラックバックというのも自分の決心、もう出版社の顔色をうかがいながら出版するよりも手売りしながら世の中に作品を残そうという決心が、どうしても一般人には出版=メジャー、手売り=マイナーなんて図式しかまだないので後退に見られているんじゃないかと思い、そこで決心が常に揺らぎそうだったのだ。


 そして、その状態でマンションでものすごくつらいことがあった。
 マンションで、猫が捨てられていたのだ。
 一晩保護したけど、最後は悲しい結末になった。
 他にどうにもならなかったけど、心はものすごくいたんでいた。


 そこからすでにこうなる事由は用意されていたのだろう。


 小説は現実には手売り、同人のほうがずっと自由に書けるし、特に早川でひどかったのが、エスコート・エンジェルを発表したとき、SFじゃないと文句を付ける連中がいて、私がそうかも知れませんねと言ったら早川が『このSFがすごい』でエスコート・エンジェルをSF扱いせず(SF関連書籍になった)、しかもその『このSF』でアンケートに答えた評者の中に『なぜ米田淳一がSFの項目にない』とコメントしているほどのグチャグチャさ。


 ホントに本売る気あるのか早川書房。SFかどうかなんてSFのフーリガンが騒いでガタガタ抜かすだけなのにそれを真に受けてどうするよ。それにこっちだって俺がSFだなんて言えるほどSFを甘く見ていないわけで、それも真に受けるってどういう神経?
 というわけで早川に対してものすごい不信感を抱いて、そこで打ち合わせでBN-X問題の話になって(プライマリープラネットにいたるプレミア3部作です)、こっちは1話ポリティカルな話をしてその後でアクションにしないとモーメントができないと言ったら『そんなの関係ない』と言いだし、結局決裂。


 で、他の出版社も、結局『米田淳一は死に筋』と言うことで打ち合わせるだけ電車代の無駄になり、そこで私も活路は手売りしかなくなったわけです。
 ところが、そうなると旧刊で交わした契約書がものすごく邪魔なのです。
 なにしろ複数年契約で作家を拘束し、しかも校正の責任はすべて著者にあるけどその利益はがっぽり出版社がとることになっているし(作家1割、出版社・書店9割)、しかも権利諸々はほとんど出版社に利益は行くけど責任が生じた場合はすべて著者に行くという片務的な契約で、Kさん@講談社が『こんなもの』と言っていただけあってホントどうしようもない。
 早川の編集さんにはその上私を中傷するオタクの手紙をご丁寧に送っていただいてしまって、ああそうか、中傷する読者は大事だけど作者は使い捨てなんだな、一緒に本づくりなんてのはあり得ないんだなと思わされて大げんか。
 推協も契約書委員会なんて作ってたけど、あそこで言う契約書は原稿の受注から出版以降までをトータルで作家保護という話なんだけど、出版社はそれをとんでもない形にしている。
 さんざんいじめたあげく、こっちが『いい加減にしろ』というと『本は出ない』と言う。
 第一本を売れないようにしてるのあんたの会社じゃんみたいな。
 で、結果、私はとある法律事務所に頼み、相談しながら契約の自動更新解除の内容証明を作成して送りました。来年11月末、契約の自動更新が切れて、これでプリンセス・プラスティック/エスコート・エンジェルを含めたプリンセス・プラスティックシリーズをすべてウェブで販売できるようになります。たぶん。まだ応答無いけど。
 それと、やっぱり統合失調を抱えながら本を書くのはつらいし、その上編集さんがものすごい体育会系で、『杏仁豆腐みたいな私の心をツルハシでざくざく耕す』(原田宗典)みたいな状況に陥るわけです。そうなっても、『あ、あのときは虫の居所が悪かったから』なんて言うわけです。虫の居所でビジネスできる会社はやっぱり強いし、それに振り回されてへとへとになりました。虫の居所でビジネスか。すごい会社だよな。
 で、ホント、いろいろととんでもない編集者に出会い、そのたびにヘコんできたことを考えると、じっと家にこもっていろんな本を読んで、いろいろ勉強して書いたほうがずっと作品の向上につながるという結論に至ります。


 事実、ウェブの小説見てると、面白い話があるわけで、自分なりに批評できそうな余地を感じつつも、よくがんばっているなあというウェブ小説を読む中、こういう面白い状態なのに出版社だの編集だのといっている状態じゃないなと思えてくるわけです。


 心ある編集さんがこっそり言ってくれたけど、いずれ本とウェブの関係は映画とTVの関係になるという。
 つまり、ウェブはTVのように普及し、そのなかでこれはと思うものは映画のように単行本になる、という。で、二つは対立するものではなく、相互補完的になっていくんじゃないか、と。映画からTVにつながるように、本からウェブにもつながるだろうし。
 そして、そういうなかで日本語で本を書くことも、実は日本語圏なんてせいぜい考えてみれば2億ないか、対して英語圏はどっさりあって、だからハリーポッターだのが流行る。そりゃそうだ。同じ子供の数でも英語圏と日本語圏じゃ話にならないほど差がある。
 ちなみに海外に英訳した日本語の本で一番売れているのは村上春樹でもなく、坂井三郎大空のサムライ』であることをご存じでしょうか。結局日本人なんて世界レベルで見ればマイナー語圏なわけで、そこで商業出版だの同人だのといったところでコップの中の嵐なのだと。


 で、ともあれ原稿を書かないとどうにもならないので、書いてます。賞の応募作も売っているけど、かなり改稿してあります。
 もう編集さんで作家を育てられるのって講談社Kさん以降いないんじゃないだろうか。自分で読む力もないから選考委員として作家に読ませるし、選考委員も異論が出るとこわいからはっきりと目立つようなとんでもない某ロワイヤルとか某子供の書いた作品に特別賞みたいな状態になっているわけで、これじゃ本当に力のある作家は世に出ないと思う。
 私も力があると自分のことは思わないけど、でもこんな状態で商業だのといったって、結局島田雅彦みたいに『文学新人賞はニートの福祉』なんて言い出すとんでもない人が出てくるわけで(あんたはじゃあ文芸でバイトしているフリーターじゃんみたいな。フリーターがニートを笑う図式じゃん)、もうとんでもない。
 でも、ホント書き下ろし小説家って、バイト以下ですよ。バイトは時給あるけど、小説家はレギュラーで連載できなきゃ単行本一冊だすごとに収入は入るけど、原稿を書いている最中はニートですよ。


 で、心が痛むわけです。傷む上に、それにとんでもない馬鹿な2ちゃんねるの小学生みたいのがアドバイスなんて言い出すわけです。
 もうバカかと、アホかと。
 で、ユキさんは純真だから、それに答えてしまうわけです。ヨネタ君ががんばってるのをいつもみています、って。
 そしたらその馬鹿が2ちゃんを参考にしろなどとユキさん宛のメールで言い出す。
 で、ユキさんが寝込む。
 私も寝込みたい。
 で、ヒルナミンを飲んだわけです。5mg*3錠。まあ、非常停止にしては普通です。4時間眠ってすっきり起床みたいな。
 だけど、利き始めるまで、ものすごくウツになるんです。
 で、耐えきれずどんどん飲んでしまう。
 4日、それでそうなったわけです。


 私には書きたい世界がある。一言で言ってしまえば、インド系の哲学と物理学の習合した世界を物語にしたい。
 もう80年代SFの暗い未来はいい。
 もっと明るく、それでいて血の通った本当の工学的なSF未来を書きたい。
 で、書けているわけです。まだまだ不十分だけど、でもその気持ちを解ってくれる人々がいるわけです。
 じゃあ書かなきゃ、と。
 で、その一環として、未来を書くには過去も見なきゃと戦記をやったり、えちいのも人間の発展のエネルギーとして研究するわけです。
 私自身、迷いながら来たけど、でもすべてはプリンセス・プラスティックのため。
 そうなったのはいいんですが、それが100%無添加になると、じゃあそれ丸ごといらないじゃん、という声が聞こえるんです。統合失調なので。
 で、丸ごといらないとなると、就職情報チラシを読んだりして、そうしながら、一生かけて33年間すべての記憶を使ってやってきたことにサヨナラかとウツになるわけです。
 ウツは100か0かなんです。75とかでじわじわと行けばいいのに、突然100か0かの思考に陥る。そうならないように75ぐらいで行けるように安定剤を飲むけど、そうも行かないことが発生する。
 だから結局、ユキさんやみなにオーバードーズは『もう大丈夫だよ、もうしないよ』と言っているし、しないつもりなんだけど、でも考えれば考えるほど、その惑星直列的事象がまた起きないとは断言できない。
 なにしろ私の脳が私に反乱を起こすわけで、私がいくらやめようと思ってもダメなんです。迷惑だからヤメロといわれても、だったらもっと迷惑をかける前に先に終了させてしまおうになるわけで、まったくもう自分でもアンコントローラブルなのです。
 精一杯そうならないように対策を考えてました。そして、すこしでもそんな無益なことを考えるより、原稿に集中することで忘れようともしていました。
 ところが、その原稿の2つが終わってしまった。
 脱稿ウツが来ました。ちょっとピンチになってきたわけです。
 で、こうやって記事にしました。書いちゃえばね、確定するわけで、それを足がかりに復旧できるわけです。


 案外メールって読んでいるんですよ。あまりにも不愉快なものは隔離するけど、でも毎回読んで、喜んだりヘコんだりしている。
 でも、そういう関係じゃなくて、つるし上げたりヘコませるのが楽しい人々がいる。
 それは絶対にイヤ。私は他に仕事があるんだから、つきあわせないでほしい。
 自分だけこんなになっているのかなと思ったら、大石英司さんがあんなTV化されたりしてもまだ馬鹿どもにつきまとわれているわけです。ひどいよあんなの。
 それに、その馬鹿どもの巣窟2ちゃんねるを見ると、私が嫌いな作家もやり玉に挙がっている。で、私はそれを見て吐き気がしました。
 いくら嫌いでもそこまで書くことないだろうと。向こうだって、私は好きじゃないけど、そこに到る事情もあり、理想も思いもあるだろうと。
 作家って、いつからいくらボコボコにしていいサンドバッグになったんですか。
 おかしいよ、あれは。
 まあ、名誉毀損が民事ではなく刑事事件として扱われるようだし、2ちゃんも運営側がめんどくさいからと全部警察に記録を渡すので、いずれそういう馬鹿どもは一掃されるでしょう。それでも毎回電車の駅とかに爆弾仕掛けたとかいう脅迫電話をおもしろ半分にかけて捕まる馬鹿がいるように、終わらないとは思うけど。


 私が悪い。そういえばそうです。普通に働いて、ユキさんを専業主婦で食べさせて、本なんか出さなきゃいい。
 全くその通りです。
 そもそも、私なんかいなければいい。
 そうなると、またウツの最後、自律自爆になるわけです。
 だから、今でも考えます。本当ににっちもさっちもいかなくなったら、ユキさんと離婚してユキさんを九州に帰して私の関係者じゃないようにして、父母とも連絡を絶って失踪してしばらくすごして、と。
 そうなるとまさしく失踪日記なんだけど、そういう気持ちは、未だになくならないのです。
 ユキさんはそれでも一緒にいたいといってくれるけど、気持ちはどんどん戻っていくわけです。
 そもそも誰とも関係すべきではなかったとか。
 特に脱稿した直後は毎回これです。


 なんとかしなくちゃなあ。
 こう言うとき、模型をやるわけです。
 
 

小畑健さん銃刀法違反

 参項大石英司の代替空港: この不当逮捕に抗議する
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2006/09/post_1ef5.html

 ほんと、私も何かオカシイと思いました。思わず私はいろいろと作業用に使うので持ち歩いているカッターの刃渡りを計ってしまいました。たまにあきにくい包装のお弁当とか食玩のパッケージを開けるのに使っているオルファカッター。
 刃渡り43ミリ。でもこれ、刃が新品だったらアウトだな。
 警察は叩く相手を間違えているよ。こんなことをやってると、市民から信頼されなくなるよ。そうなると本当の犯罪の検挙率も下がる。士気が低下する。不当逮捕で安直に点数を稼ごうとする。市民から……悪循環。
 マスコミも、ほんとひどいよ。大本営発表ではないか。まさしく先の大戦A級戦犯はマスコミだな。


 参項赤尾晃一の知的排泄物処理場(わかば日記) 恣意的に運用される銃刀法
http://www.akaokoichi.jp/index.php?ID=547