ネタにマジレス、カコワるいけど

 昔住んでいたアパートの近くに、女性下着を1階に干している家があった。
 しかも南向きの物干しに。
 基本的に女性下着って陰干しが基本じゃん。なんで日当たりが良すぎる南向きの1階の物干しに干すの?
 下着泥棒してくださいって言っているようなもんじゃん。しないけど。
 今日、電車内の痴漢についての統計やってたけど、知り合いで東京まで電車に乗っている男性がいるんだけど、椅子に座ると女性が眠って頭を預けてくるらしい。
 どんな若くて可愛い女性でもそういうのは迷惑だという。
 すべてがそうだとは言わないけど、犯罪を予防することも市民の心得では無かろうか。
 といいつつも、痴漢冤罪の団体をやっていた人間が痴漢で捕まったりとムチャクチャだけど。

 靖国の問題について、別施設論を言う人がいる。
 しかし、今それを話題にするのはどうかなと思う。
 私としては靖国の祭り方に異論があったが、それはそれとしても、今、いちいち中国に言われないと過去を総括できないのかとがっかりする。
 侵略の過去も我々の過去であり、世代が変わったからと涼しい顔はできない。
 歴史問題をいうとき、我々が失敗だったと思わねばならないこともあるけれど、でもそこに正邪を持ち込んだりするのは過去の人々に対して失礼ではないか。
 過去の人々も、今から思えば思い至れる情報があったとしても、当時は情報通信の違いで、現在とは全く違う空間時間感覚でやっていたのだ。
 過去を後知恵で正邪判断するのは子供にだってできる。
 我々に必要なことは、その当時において、なぜそうなったかを考えることであり、それを考えずに間違っただの侵略だのと言ったところで何の成長もない。
 もちろん靖国の側にも問題がないとは言えない。
 本来先祖崇拝、戦没者慰霊も君が代日の丸も、食事の時に『頂きます』と手を合わせるが如くに、子供の頃から自然に身につけるものであるはずだ。
 『頂きます』も『食堂』も元々は仏教用語だ。それを宗教だと指摘するようなところに、無宗教という宗教の虚しい偏狭さを思わされる、と言うふうに靖国も誘導すればいいのに、靖国勢力自身も偏狭な方向へ突っ走るからオカシイのだ。
 もちろん現実の靖国は争乱もない普通の神社なのだが、周りに集まる連中がごちゃごちゃとうるさいからややこしい。
 でも、慰霊施設を別に設けるという事は、あまりにも安易ではないか。

 我々も中国も連合国も、当時はさんざん悪いことをしてきた。
 しかし、それを現在と切り離して、アレは昔のことですから、と逃げるのは一番卑怯ではないか。
 私の危惧は、むしろ靖国問題が中国の言いなりになったとき、その先で我々が失う魂の問題である。
 過去に置いて、日本は必死だった。もちろん良くない連中もいたが、しかし過去も今も、日本は個人の段階でそれを変えうるような独裁国家ではなく、集団指導の中空な無責任連帯責任構造にあったことは明白ではないか。
 真珠湾の遅れた宣戦通告でも誰も責任を取らなかった。
 ミッドウェイでも、海軍甲事件(山本五十六乗機撃墜)でも、古賀GF長官の移動時の遭難でも、責任を取った指導者はいない。
 その点で、陸軍の将官を考えると、玉砕して死んだものも多く、そうでなくても終戦時に自決し、責任を取ろうとしたものが目に付く。
 むしろ戦後処理では、いいとこ取りばかりした海軍の、特に鈴木貫太郎首相(海軍出身)の『最後の一戦』構想と、米内光政海相のそれにすねてすぐに場を放棄する無責任の中、必死に陸軍をまとめ、終戦にこぎ着けたのは、唯一阿南陸相の腹芸であり、苦しみであり、覚悟に寄るところが大きかったのではないか。
 そう考えれば考えるほど、今別施設論を言う人々がどの程度当時の人々の覚悟を理解しているか、疑問に思えてくる。
 別施設にしたとたん、我々は歴史性を失う。
 歴史性とは、過去から受け継ぎ、現在を生き、未来に繋ぐ魂の問題である。
 それを途中で断ち切って良いのか?
 歴史を学ぶ者だからこそ、もう少し落ち着いて考える必要があるのではないか。
 ちなみに靖国の鳥居は台湾から持って来た木で作られている。
 当時の日本の大亜細亜構想の名残である。
 自分に繋がる命の営みの重みを、単なる今の中国の恫喝で否定してしまったら、我々の命は何の重みもなくなってしまう。
 私はそれを恐れる。