攻殻2ndGIG、概略予想/エースアクティブもうすぐ公開
攻殻SAC2・8の概観。
つか、ここでとある博士が自由を求めた結果より不自由になるというネタがあるんだけど、うすらぼんやり見えてきたのは、結局人間が人間であることの社会主義への反抗が個別化であり、それでありながら人間はどうしようもなく内側に社会主義を、社会を求めてしまう業があり、それとは自己組織化でもあり、それは自然の摂理でもある。故に個別の11人は『解脱』を求めて自殺を選んだのではないか。
愚見だが、そんな気がしてきた。いくつも繰り返されるテーマの中から、そんな部分が見えてくる。
自由になりたい。
でも、自由とは、自由になる前からももっと不自由な世界。
本当の自由など存在しない。
で、プリンセス・プラスティックの第2シリーズ、シファ級BN-X公開問題編は鉄腕アトム以来の虚体を知性として認めるか、という問題に収斂しそうである。人間への服従、疲れを知らぬ機械。しかし、それに思いやる心を人間は取り戻せるかというテーマで、まあこれを比較するのは勝手だけど、ただ自分で描いてて、今度描く本格的な時間管理機構もの『ランダムドリフト』ではさらに自由を求めたり見返りを求めたりよりももっと根源の、私自身が繰り返し描いている『自分の生まれた意味』について描く。
とあるウェブのエライ人が私のこの言葉に『生まれた意味なんか無いのです』などと言っていたが、まあいくら本を読んで偉くはなっても、本当に身を削って真剣に苦しんだことがないんだなと私はその人の言葉を思った。
生きると言うことは断じて言葉のゲームではない。命をかけて身も心も擦り減らす自我の死ぬ瞬間まで続く戦いなのだ。それを『実はないのです』などといってしまえる彼の注意力の不足に、まあそうなんだろと思う。
確かに禅や仏教の考えの中に意味がないと考え、そこから意味を構築していく議論もある。だが、それは『ないのです』などと簡単にいってしまえるものではない。言葉は誤解される可能性が無限大にあり、だからこそ生き死にに関わる話題をその場の自分の切れ味に酔うような言葉遣いで語るのは危険だ、ということは明らかなんだけどな。親鸞上人が歎異抄で書いている通り。
結局、人間どうやっても自分で自分を救うことができない。
だからこそ、修業の末に行き着いたのが念仏であり、それ以外にいくら自力で工夫しても、結局人間の抱えてしまう現実には小さすぎるのだ。
問題は気持ちなのだ。
念仏しかない。命がけの修練の末に、そう思ったのだ。
でも、念仏だけでいい、というと、その過程を端折って馬鹿にする馬鹿どもが出てくる。 どれだけ苦しんできたか、謙遜すれば真に受ける馬鹿が多すぎて、親鸞上人は若い頃、モノスゴク悔しく口惜しかったと思う。
で、その人は切れる人で、なんか小説を書いているらしい。とある賞の1次も通ったという。
きっと売れるだろうな、多分。私には関係ないが。頑張ってお金を儲けてください。そういう本を求める人々は一杯いますから。
私がどう評価されるかどうかなんかはもう考えない。
私は私の苦しみと悲しみ、そして喜びを描いていく。
それに共感する人が続いてくれればいい。
商業作家が商業作家である意味なんてもう存在しない。
問題は、たましいと志なのだ。
売れる本を書くんじゃない。
売りたい本を書くんだ。
そこを間違えたら、小説を書き、読む喜びは消えてしまう。
朝日新聞対NHK、もうあきれるばかりだけど、それを伝える小倉さんの『とくダネ』のコメントのスカっぷりがまた頭が痛い。
公共の電波という意味が分かっていない。
ウェブにしろ新聞にしろ、出すのは勝手だ。好きに書けば良い。だが、TV電波は帯域という非常に狭い空中を通る電波の幅をみんなで分け合って使っているし、それを維持するためにも膨大なコストがかかっている。
自分の都合で使ってはならない公の存在であり、尻が拭ける紙に過ぎない新聞なんぞと一緒にされては困る。
それに、誰もなぜツッコまないのかと驚くばかりなのがその放映される内容だったはずの『女性国際戦犯法廷』という奇怪でこの名前が既にツッコミどころ満載のどうかしている人々のどうかしているおかしな集会のおかしさに誰も何もツッコまないのがおかしい。
おかしすぎるからNHKも引いたんだろ。確か私も新聞TV欄でタイトルを見ただけで女性? 暇なプロ市民だろ? 国際? ウチの近所に国際鱒釣り場があるよ。戦犯? だれがそんなものを決める権限がある? 法廷? その依拠する法って何なんだ? とおかしすぎる。
しかも従軍慰安婦についてもその言葉の誕生と現実についてはさんざん議論されておかしな言葉であることは明らかである。
おかしすぎるのにも程がある。
まあ、珊瑚に字を書いた新聞だから、そういうこともあるかもと今思ったり。誤報ですらない。ねつ造である。
でも、小倉さんが外れたコメントばっかり出してきて、なんだかTVの世界の人々は違うなあと思った。
電波は、日本国民にとって日本の上の電波は宝である。
携帯電話にも、人の命を救う防災無線にも使える。
しかし、その中から放送人を信頼して、日本国民のためになる放送をしてくれと貸しているのである。
その意識がTV人になさすぎる。
特に最近の番組の占いコーナー。
BPOが勧告したが、その言わんとする最大の所は、またしてもTBSなのである。
TBSの午後のワイドショー、『**を選んだ人は今日の運気は最低』とやる。
これだけである。
運気が最低な人がどうすればいいのかフォローしない。
ただ人を不快にさせるだけの占いを流して時間を埋める。
よそもだんだんそういう方向になってきている。
イヤならよその局を見れば、と言うTV人がいる。
そうはいかない。
あなたの局を潰せば、そのぶん携帯電話や防災無線、警察無線、航空無線といたもっと大事なものに電波を割り当てられるのである。
それでも視聴者はTV人をまだ信じているのだ。
出直してこい。
病院。
父の退職の話など。
とりあえず私がここ数日イライラしていることについて。
仕事で上手くいかないこともあるだろうが、まあ結局は頓服を飲んで沈静させるようにと言うことで終了。
帰りに不調のマウスの代わりを買う。
まず、無線マウスがダメになった。動作用乾電池の電圧が下がると四六時中何も動かしていなくてもカウントし続けて電力を失い、無反応となるようだ。
次にLet'sNOTEの頃から使っているミニマウスがダメだった。これがどうやらケーブルが断線しているらしい。
そして、タブレットもオカシイ。感度がヘン。反応したりしなかったり。
で、結局行き着いたのがMicrosoft IntelliMouse Optical USB。ZOAで買った5ボタンでオプチカルでUSB有線。もう中途半端な無線デバイスはイヤだ。
で、使う。
腰が砕けそうになるほど楽になる。どうやらここ数日の感情の上げ下げはマウスの不調によるものだったのかも知れません。
5ボタンマウスがいいのなんのって。Firefoxでもちゃんと動作するし。嬉しい。
つか、3ボタンまでは経験があったんですが、追加された2ボタンが快適すぎ。陶酔してしまいました。進むと戻るに専用ボタン。これだけでモノスゴク楽。
これで心静かに仕事ができそう。
ユーザーインターフェースって、大事だなあ。
で、ユキさんとMacというものについて話。
ユキさんはマカーなんだけど、私としてはMicrosoftの悪口を言いつつもMicrosoft製品を使っている身。でも、MacはいつまたWindows95が出てきた頃のどうしようもない時期のMacに戻りそうなところが怖い。
まずOSX自身、ジャガー、パンサーと細かくバージョンを上げるたびにお金がかかるところが小さなMicrosoftとやっていること同じに見えてくる恐怖。
あと、マカーの狂信ぶりもちょっと冷ややかに見えてしまう。iPodはMacじゃないみたいに言ったり。そこまですねなくても。
でも、実はMacみたいなものは好きなんですよ。初めて東大に調べものに行ったときに生協に置いてあったクラシックが、ああ本当の仕事でコンピュータを使う人はこれだな、という高級で合理的な質感。あのころのMacを見上げたとき、私が持っていたのは8ビットのMSX2だった(+すらなかった)。
あのころは自分が何でも覚えて、何でも考えられるようになると信じていた。だから、いつかMacで仕事をしようとあこがれていた。
今になってみると、Macはそのころのあこがれから奥さんユキさんのマイマシンeMacとなり、点けていると寝られないほどの冷却ファンの音をとどろかせている。
でも、いつかMacはもっと凄いものを出してくれる。つか、密かに作っているはずだ。
プリンセス・プラスティック講談社版で、愛宕ヤスコ官房副長官がブドウマークを押すシーンがあります。あれは、Macがいずれはるか未来にも残って、エグゼクティブに愛用されているだろうという希望なのです。
アートは力だと思うし、今のMacを見ていると、ホビー色が強くなりすぎている気もするけど、こういう具合に思い入れられるMacというものは、PCという機器ではなく、一つの『Macというもの』なんだなと。くそう、羨ましい。でも、いろいろと高いんだよね、ユキサンのeMacにまつわるエピソードを思い出すと。シャッキントッシュなんだよね。
で、エースアクティブ用の図版2枚目完成。イエローのBNR-34。ユキさんの手による絵である。私も書いたのだが、やっぱりユキさんのほうが上手い。やっぱり専門学校を卒業しただけのことはあるなあ。私は高卒のみなので。
このBNR-34がとんでもないことになるのがエースアクティブという話。まさに米田クオリティである。
レースクイーンでえろい話にしようと思ったけど、なんだかどんどん車とか峠の風景の描写を詰めていったら本文だけで100枚越えちゃったよ。
でもこういう時って、楽しい。
0:10、ここら辺で今日の業務を終了しようと思う。