卒倒発作の少年

 2回目の結婚記念日。結婚3年目に突入。
 記念の品を選び、会計に行くと、前で支払いをしていた男の子が卒倒する。
 どうやらてんかんのような痙攣症らしい。店員さんは慌てていた。
 でも慌ててどうなるわけでもないんだよなあ。意識はないけど呼吸はあるとはいえ、救急法と言ってもどうしたらいいのか分からず。とりあえず救急隊が来て倒れたときに頭を打った可能性について調べているところで離脱。素人が動かすと頭の怪我は危険だ。
 この男の子は苦しい人生だろうなあ。ショップで大好きな物品を手に入れ、お金を支払おうとした瞬間に痙攣発作が起きたのだろう。梅雨入りに近い時期、空調の風に一万円札が3枚、主を失って揺れていた。
 まだ病気になり始めたばかりとお店の人にすぐにきたお母さんが説明していたが、今はいい薬もあるし、ああいう脳の器質的な病気ならいろいろと支えもある。か細い支えだけど、でもこれまでこのお母さんが家計から払った税金分だけの見返りは求めて良いと思う。
 今私は『蔵』宮尾登美子を読んでいるのだが、病は苦しいと本当に思う。特に障害というものは、あるととてつもなく怖い。
 健康だと、脳の健康回路みたいなものが働いて、なんとかなるだろうと考え込まずに済むことでも、障害を負うと、つい考えても仕方がないような将来まで突きつけられてしまう。
 でも、病はあっても人間は人間だし、人間みんな健康な人でさえも不安や苦しみに満ちている。それと戦うなんて悲壮な決意はいらないが、当人が生きようと思えば、自ずから道は開けると思って私は生きてきたし、事実ここまできた。
 まあ別の病気だからうちはそういう支えがないけど、なんとかやってきた。
 同じ趣味の人として、彼に心が残る。そのあと約束していた映画があって、切符も買っていたので離脱したけれど、良くなれと私がここに書いたとしても良くはならないかもしれない。
 でも、病なら病なりの生き方がある。それを見つけられると良いなと願う。