リアル電車男の結婚記念日

 結婚記念日にビナウォークで見た映画は『電車男』。溜まったシネマイレージで見た。
 テンポのいい前半。ユキさんは『ハル』を思ったようだが、さらに表現が豊かだった。
 後半はあれほど有り得ないと思っていた恋心に苦しむ電車さんがいい。
 なかなかいい感じに映画にできたと思う。
 いや、いろいろと日本映画としてちょっと切なくなったこともある。後半はキャラクターの行動で関係を示すより、もっと動きを抑えたなかで俳優を演技させればと思うこともある。でも、及第じゃないかな。エルメスさん役の中谷美紀はちゃんと演技してたし、まあこういう映画における俳優女優の演技力を読解する時代でもないようだから、こうしなくちゃいけなかったと理解する。
 でもやっぱり現実は強いなあ。『カマかけたんですよ』とか、『その気にさせないでください』は威力絶大。すこしずつ歩み寄っていくのもほほえましい。
 エルメスさんもいいし、電車も決して自己卑下せず、なんとかエルメスさんにスペックをあわせようとしたポジティブさがいい。無理するところで一度崩壊するけど、私的経験からして、そういうものはある程度のところで崩壊するんだと思う。ユキさんと付き合いだしたときも私、崩壊したし。
 その無理が無理しすぎてダメだと思いながら、それでもがんばった。
 男って、恋をするとなんだってできる、みたいな言葉が『カリオストロの城』であった気がするが、そういう感じもさわやかに表現できている映画だと思う。
 ラストシーンは美しかった。
 みんなああいう人になりたいだろうなあ。原作とは違うシーンがあったのでおやと思ったけど、こういう結論とは。いいなあ。
 結局恋愛にせよ、生きることにせよ、全てがもともと苦しみなのだ。無ければない苦しみ、あればあった苦しみ。でも、それは結局受け止めなくてはならないのだ。そこで自分で望んだ苦しみか、押しつけられた苦しみかという選択になる。
 それを自分で選ぶのは怖いけど、でも選べば選んだなりに後悔する時間がないほど展開すると思わされる今日この頃。私にいわゆる平凡な日常なんて、地味だけれど、それでもないです。そうやって私の毎日が躍動しているのは、やっぱりユキさんと私で世帯を経営していくことから逃げないからなのかも。
 そういえば同じように私もユキさんの携帯が電波届かずでやきもきもしたなあ。
 恋は苦しい。本当に苦しい。私も苦しかった。何もなければないで苦しいけど、あるようになってくると、失う怖さがどんどん増える。結局そのなかで波のように寄せては引きのようにある不安とない不安が交互にやってくる。
 そこで結婚制度というのはあるのだなと思う。結婚は楽になるためではなくて、相手と誓うことで互いを見放さないように、一線を引いてがんばろうという覚悟なんだと思う。
 一人では自分の喜び悲しみは一つだけど、二人になると、相手を喜ばせたり、気を使ったりするのが楽しい。喜びも悲しみも、違いはあっても共有できる。その一つ一つが楽しい。
 そのカップルである以上に、結婚関係があることで互いに踏み込める範囲が増えて、よりいっそう深くつながっていける。そこで結婚して良かったなあと思う。
 家に帰ると『あいのり』をやっていたけれど、こういう人たちとは人種が違うなあと思う。もてあそぶ恋は私は全く分からない。しかし、潔さとか、決めたことについての覚悟とか、そういうものがあるから3年目に入れたのだと思うし、今でも私は単なる恋愛ドロドロは興味を持てない。
 だが、それが職業とか、人生の指針とかがあるなかで共感したり共鳴したりするならば、それを支点にした感情のやりとりは分かる気がする。
 恋に生きる、と言うけど、まあそれは4年で飽きる遺伝子の種まき本能かなと思う程度で、お互いを尊重する愛情とはもっと深いところから沸き起こるものだと思うし、それを信じている。
 人は互いを求めるけれど、それとは別にモノを作るから豊かになって来たんだと思う。
 文明は常によくしよう、良いモノを作ろうとした努力の結果だと思う。文明批判なんて事をいう人もいるけれど、その文明批判ができる文明は本来ポジティブだと思う。
 その深いところでも共鳴できるユキさんと出会えたのはとても幸せで、今でも嬉しい。
 『ハチミツとクローバー』にしろ『のだめカンタービレ』にしろ、恋愛ものであるところは旧来の作品と変わらないという意見があったが、この両者は恋愛ものでありながら恋愛以外がしっかりしているところが違うと思う。
 四六時中相手を独占することばかりかんがえて仕事おろそかの恋愛ものには苛立つ私であるが、仕事や修業をし、そのなかでつながりあっていく、単なる好き嫌いではなく、好き嫌いに『きちんとした動機』があるところが私としては『ハチクロ』も『のだめ』も、これまでと一線を画するんじゃないかなと思う。
 電車男映画はシンプルに恋愛に絞り込んだけど、アキバ系の男とハイソなエルメスさん、という始点が上手く決まっているのが恋愛ものでありながら退屈させない良い意味での先のよめなさになっている気がする。
 恋愛って、無理があればあるほど盛り上がるというのはセオリーだよなあ。そう考えると、これまで一緒くたになっていた恋愛ものって、そういう無理を作るところで失敗してきたんじゃないかなと思い返す。
 いや深夜になってどんどん考えるけど、物語全般はそもそも無理そのものだよなあ。自然にそうなるんだったらドラマじゃない。現実にそうなっちゃうわけで、それは今更いじるものでもない。そうならないところに置かれた人々が決心して動くからドラマになる。作劇上の無理、という言葉がたしかあった気がするが、現実に生じた無理がちょうどよくスポットにはまったんだろうな。
 そういや電車男エルメスさんも名前が出てこない。あくまでもハンドル名だった。他の人物もそうだ。一人も名前が出てこない。全員ハンドル名のまま。
 それだからこそ良かったのかも知れない。さわやかな後味の映画だった。趣味も余り悪くないと思う。演出としてもこれが元ネタの発展としてベストだったんじゃないかな。
 よかった。楽しかった。

 ちなみに、何でリアル電車男というと、私も電車男みたいな時期があったのです。振られ回数4回、その中でキョドったり、行きすぎたりと恥ずかしい人生があったのです。イヤ恥ずかしい。これはあまりにも恥ずかしすぎて書けないよ。
 でもこうして二人で2回目の結婚記念日。
 電車さんはどうなったか分からないけど、まず一歩踏み出すところから現実は変わる。
 まーオタ趣味については彼女ユキさんもオタ系統でいのまたむつみ好きと言うところで合意しちゃったんで、今はフィギュア集めとかで一緒に楽しくやってます。
 あれこれ考えるより、飛びこんじゃった方が、何もしなかった後悔よりは良いと思うまでに時間がかかったけど、そんなことを見た後思いだして、ちょっとほんのりと嬉しい。そんな映画です。つか、映画館の観客、カップルが多かったです。