太っているべき職業

 ユキさんが体重の増減を気にしすぎているので、私の太っていることが好まれる事例という話をする。
 だって考えれば当たり前なのだ。マイクロダイエットみたいな何の粉の汁だかワカランものだけ毎食事飲んで、体重何キロ減ったとボロボロの身体で喜んでいても、それじゃ私がその傍らで美味しくトンカツとか食べられるわけもない。結局付き合ってマイクロダイエットを飲まされるかも知れず、そんなのはまっぴらゴメンだ。いくらレースクイーンなみの美脚でも、そんな日常はとても過ごせない。ストレスでおかしくなってしまう。
 それに、料理をしている人を見ていて、げっそりと痩せた料理人では料理が美味しくない。ついつい私もまかないで食べ過ぎちゃうんですよ、みたいな美味しいものを愛している料理人は、やっぱり返すフライパンの向こうにちょっと張った腹がないとダメなのだ。
 そこでまあ和食の達人は少し小柄であって欲しいというイメージがあるが、まあそれはそれとして、私としては毎日の楽しみは小説を書く楽しみと、食べる楽しみだ。それにプラスしてチェッコリの楽しみはあっても、でもそれは『3欲独立』というか、それぞれに極めるべきであって、互いを侵害してはならないと思うのだ。
 で、ユキさんは痩せているとは言えないが、太っていると言うほどでもない。でも、そのユキさんが痩せるために沈鬱に過ごすより、笑ってお菓子をつまみ食いし、一緒に肉や魚を食べて楽しめる現状が良いのだ。確かに肥満は病の元だが、しかし肥満を気にして精神衛生が悪くなっては本末転倒だ。
 やはり楽しく日々を過ごしたい。そう考えると、服を作っている人たちがやたらと痩せろ痩せろとやりすぎるのには憤りを感じる。まあショウウインドウの向こうだから、そういう売り方をするんだろうけど、でも昔の絵画では豊かな身体で美しい女性を書いていた時期があったはず。貧弱な身体にしか似合わない服しか作れないデザイナーは美の歴史に反しているのではないか。人間の優しさとか、幸せを『クール』とかいったここ数年の価値観で否定している愚ではないか。
 様々な人にあわせた服を作ってこその服飾デザインだろう。痩せた人の服ばかりの服飾業界のあり方を思って、なんだかなあと思う。世の中が全てモデルさんばかりではないのだ。太った人にはビロビロのTシャツ着せておけばそれでいい、そんな発想はアートの仕事ではないと思う。
 でも始めに戻るけど、料理人でちょっと小太りの人は、美しいと思う。仕事を愛しているのが滲み出るような感じがする。本当の美は、シェイプされたもの、クールなものばかりではない。ウォーミングであったり、ソリッドであったり、もっと多様であるべきだ。
 私はユキさんを見ていると、まあその料理人ほど太っているわけではないけれど、でもお菓子を食べ、ミルクを入れたコーヒーを飲んで幸せそうにしていると、私も幸せなのだ
 たまに散歩に出かけるのも良いけれど、マイクロダイエットとかアヤシゲな中国痩せ薬だけは断固としてやらせたくない。

 と言うわけで、ユキさんの揚げてくれたトンカツに舌鼓。美味しかった。