ボブ・ロス画法というペンキ絵

 昔、衛星放送がWOWOWBS1・BS2しかなかったころ、絵の描き方という番組があった。
 ボブ・ロスという人の番組であったことと、その人が95年に亡くなっていたことを今日知ったのだが、このボブ・ロスという人の誰にでも油絵が描けるという画法がボブ・ロス画法というのだと始めて知った。
 確かに誰でも描けるんだよなあ。筆のハケ目を使って細部を一気に書いたり、ドライブラシを使ったり。私の父は『ペンキ絵だ』とバカにしていたが、確かにお風呂屋さんの富士山とかと描き方は一緒。
 でもそれを紹介する今日の番組で絵が下手なタレントがそのボブ・ロス画法で絵を描いたんだけど……。ありゃ、やっぱり下手だよ。
 やっぱり下手な人はどうやっても下手なんだろうな。絵の本質とはそれだと思うし、ああいうボブ・ロス画法で描けても、そのうち飽きてしまいそうだった。
 飽きずに続ければ何か将来性があるけど、体裁だけを整えるあの画法では、まあ楽しい日曜工作にはなっても、絵ではないなあ。
 だからどうという事はないのかも知れない。ただ、体裁を整える以上のものを持つことが難しいのはいつの世も同じだなと思う。
 少なくとも、『絵は見るものではない』という基本が分かっていない人が多すぎる。絵は見るものではない。『感じる』ものだ。優れた絵は心を動かす。何かを感じさせ、何かを刺激される。まさに魂の仕事である。
 それを精神論とバカにする人もいるし、体裁の話を延々と続ける人もいるけど、魂ソノモノは、当人が気付いて学んでいかなければ、どんなメソッドでも学ぶことはできない。
 まあ、親が子にできることは転ばないようにすることではなく、転んでも立ち上がれることを教えることだとかハチクロでもやっているけど、結果オーライというか、いらん心配をしてしまうのは結局それも悲しいことだが心配をする人の勝手なんだよなあ。
 転んで始めて転んだと学ぶのが人であり、失敗をしてすこしずつ青春という『思い切りの悪さ』とか『未練』とか『嫉妬』とか『間違った自信』を脱いでいくのだといろいろな人を見ていて思う。
 私自身はここ数日、いろいろなことがあって、人生について学んだけど、ここでは描けそうにない。全てexit_ifに応用してしまった。
 こうしてblog熱というか、ウェブにかける熱情も、いずれ冷めていくのかもしれない。

 いつか、ウェブを卒業してしまう日が来るのかも知れない。
 それが正常な人生かも知れないなあと、exit_ifを書きながら思った。
 ウェブ活動も、また学校と同じものなのかも知れない。