山田正弘先生死去

 恩師、山田正弘先生死去。
 去年から体調不良にかかっていて、一時とても元気になって良かったと思っていたが、突然のことだった。
 文学学校からの連絡で知る。今日お通夜。

 言葉が浮かばない。
 厳しくも優しい先生だった。
 ご高齢であったが、1週間前、今年の夏合宿の準備でスタッフが会ったときは元気だったらしい。
 一時期心臓の治療の直後に衰えてしまい、私は親戚のつてでアガリクスみたいなものを手配して贈った。

 その後回復し、漢方薬などで元気そうになり、つい数ヶ月前にもお会いした。
 しかし、最近の病は一時落ち着いてからくるらしい。

 言葉が継げない。
 波のように寄せては返す感情。
 もう会えない。
 砧さんの時にもそれを感じていた。
 嗚呼、先生。
 今日入手したCDにラフマニノフがあった。
 聞いていると、感情をピアノの旋律がトレースしながら、日々が甦ってくる。
 たくさんの心配をかけてきた。
 それでもたくさんの人々に引き合わせてくれた。
 それでもたくさんの話をしてくれた。
 もっともっと伺いたかった。
 胸が本当に痛くなった。半分は肋間神経痛だったけど、半分は心だった。
 肋間神経痛は治ったけど、心の痛みは直らない。
 のたうち回った。
 もうお歳を召していたとはいえ。
 胸が張り裂けるとはこのことなのかとも思った。
 しかし、私は先生に恩を返すとしたら、書くことしかないのだろう。
 一番気にかけて、一番応援してくれたことなのだ。
 
 音楽がこれほど感動的なものと思ったことはなかったかもしれない。
 ラフマニノフが滲み込んだあと、ガーシュウィンの曲が聞こえたとき、再び感情が爆発した。
 山田先生はウルトラQを金城さんと共同して書いた後、ウルトラシリーズを手がけ、他にもTVドラマ・映画多数、そして『中学生日記』をやった脚本家である。
 とはいえ実際の先生は小柄でお歳を召されながらも怜悧で、ありあまるほどの洞察力が服を着て歩いているような鋭い人だった。
 しかし、鋭いけれど、それを上回る優しさの服を着ていた。
 私が苦しんでいたとき、しっかりしなさい、ユキさんもいるのだから、と諭してくれた。
 
 また一つの世界が消えた。その全貌をつつしみ隠したまま。
 もっともっと知りたかった世界が、また消えた。
 世界を作る意思の強さと、その世界の中のキャラクターの意思。
 それこそがドラマであり、人を勇気づける。
 それが、消えた。

 嗚呼。
 しかし、死を悼むことはしても、それだけでは報えない。
 やはり彼らを知る私が、彼らを受け継いでいくしかないのだ。
 大げさな決意表明かもしれないが、しかし、意を決して挑まねばならない道なのだ。
 迫った締切がある。

 それでも時間を捻出し、山田先生の家の近くの斎場へ向かう。
 文学学校の人々がいた。
 他にも一杯人がいた。
 
 市川森一さんが来ていた。

 思いが一杯になりながら、帰った。
 でも、葬礼というものは生きるもののためなのだなと思う。
 よく死んだら葬式をしなくても良いという人がいる。
 でも、私は思った。
 葬式がなければ、心の中に、有り得ないことと知りつつ、生きているんじゃないかというかすかな期待が残り、いてもたってもいられなくなる。
 そのかすかな期待に捕らわれて日々がおろそかになっては、それこそ不幸である。
 死に行くものとして、後に残す人々にたいして気遣う。それが葬式なのかも知れない。
 特に豪華でなくても良いのだが、かといって『なし』でもよくないのかもしれない。
 遺影の山田先生は笑っていた。7月28日、講談社の取材を受けているときだったという。
 本当に元気そうな姿だった。
 だが、戻っては来ない。
 別れ。
 日々出会い、日々別れていく。
 でも、いつのまにか、会うことが当たり前になり、気にも留めなくなっていく。
 そして誰にでも別れがやってきて、そこで惜しむが、取り返しはつかない。
 だが、私にもそれとの別れが来る。
 永遠の命というのは、あまりにも可哀想なものかもしれない。

 プリンセス・プラスティックでシファを描いたとき、不死のテクノロジーと思った。
 しかし、なんにでも終わりがある。
 その終わりを乗り超えていくのが、世代を越えて伝わるミームなのだ。
 それを思いながら、これまでこっそり溜めていたシファのシリーズの続きを読み返す。
 長い長い話だが、いつか公開するかもしれない。
 ただ、これを発表する姿を先生に見ていただきたかった。
 いや、今も見ているのだろう。
 たましいは、不滅なのだから。