日本史上初のウェブ選挙

 私はこの日を待っていたのかも知れない。朝日的な、社会党社民党的な、岩波書店的な、左がかったフリーライターのやっつけ仕事埋め草記事などによる『あっち系』の連環に、ついに大きなノーを突きつけたのだ。今まで黙っていた、本当に働き、本当に考え、苦しんできた人々の勝利なのだ。
 しかし自民はこれから舵取りを間違える危険は未だある。小泉後が小泉的な安倍晋三福田康夫的なものにそのまま継承されればいいのだし、順当に行けばそうなるだろう。だが、小泉任期切れのときの判断で、小泉が迷えば政局になる。そんなことはないと思うが。
 今回山形センセーはウェブ選挙がなかったと言うけど、実のところ、密かにブロガーたちは単なる政治活動と一線を画しながらも、自らの表現で静かに自らの信念を記し、ftpでアップロードしていた。選挙期間中は更新を控えていた人々も多かったが、ウェブは『吉牛マツリ』のようなフラッシュモブといった出会いを得る空間でもあるが、それ以上に、非常に安いコストで他者の知識や記憶を閲覧できるアーカイブ、図書館の意味もあるのだ。ほとんどのオピニオン的な記事は、ほぼ完全に削除されることなく存在していたのだ。
 もちろんそのアップロードされてきた情報や意見は右から左まであったが、その表現に反感を持ったり共感したりしながら、多くの若者が自分の生まれる前の政治史や歴史を、これまでのマスコミしかなかった時代とは違って、ウェブで自ら調べただろうし、それができなくてもウェブで学んだ知識は口コミとなって広がっただろう。
 まさに覚醒したのだと思う。もはや派閥も党派も関係ない。自らの主張にあった候補を見つめ、育てるアクティブな有権者が登場したのだ。居ながらにして膨大な歴史に学び、他者の主張に自らの意見を持つ層は、既に現れているのではないか。ウェブでの選挙活動はできなくても、ウェブで下調べをすることはできた。それによって新たな人々が出現した。それは無党派などという幻ではない。
 近い将来、政界にまだ波乱はあるかもしれない。だが、日本国民は思っていたよりも賢明だったのだし、ますます賢明になりつつある事は確かだと思う。民主党のCFがガンガン流れても、有権者はそれに踊らされなかったのだ。
 それこそが選挙というものの優れたところ、見えざる手の匙加減だと思う。