ハリー・ポッター 炎のゴブレット

 これを書いたのは28日日曜で、次の日がシフトの休日なのでレイトで『ハリー・ポッター 炎のゴブレット』を見る。
 パンチが重いよパンチが。見始めた子供も成長して行くわけで、そうなるとこういう重さは必要だと思ったけど、たかがハリポタだったはずがマジで泣かされちゃったよ。
 というか、予告編のチキン・リトルでチキンのお母さんがいないと言うことで既に一発食らっていた感じもあるが、ホグワーツが段々建物大きくなってないかとか、いきなりダンスで『あれ』と思ったら向こうは9月が学期始めですぐクリスマスになるんだなとか、あの映画予告編の半魚人が実はあの人とか、例の人がついにとか、うわわわ。
 犯人はだれだになっていて、その犯人が二段落としになっていたり、なんだかオープニング、画面全体にブルー強すぎませんかと思ったら最後はレッドが入った暖かい画像とか、それだけじゃない、今回も前回までだったらこれでご飯一杯にしていたよねと言うネタがサクサク展開。スピードは速いわハリーの苦難が余りにもすごくて、とはいえハリーのマートルとのサービスシーン(?)まであって、いやほんとうにごちそうさまでした。ハリーが泡を使うシーンがどうにも童貞っぽくて好感が持てる。
 いや、ネタバレを公開わずかでするのはいかんと思いつつも、随所に見られるドラえもんイズムみたいなのがあったり、本当に楽しかった。
 最後はちょっと悲しいけれど、ハリーはそういう運命に生まれたのだ。
 男の子は勇気で生きている。それを感じた。ラストのハリーの決然とした顔。よかった。
 ちなみにラヴなんてことがいわれてましたが、それよりもハリーの疑惑でふてくされるロンのねじけっぷりと、それを目にしたハーマイオニーの驚きとかが楽しい。
 で、こう書いた後に仕事がいろいろとあって、ちょっと他の人の評を見てみると、まあなんというか、読解力のない人々っているんだなあと思った。ハリーの勇気とか、思春期とか、そういうものがテンポ良く繰り広げられて世界を作っているし、しかも私としてはダンスシーンの第2幕は現代イギリス社会を反映してもっとUKの音楽をと思ってしまったぐらいだったのだが、そう思わない人もいるらしい。
 私は楽しかった。ユキさんも楽しんでいた。やっぱり何に対しても感受性のない連中はいるわけで、ハリーポッターをポジティブに読めれば十分満足できると思う。
 ちなみに某大手映画評サイトではハリーポッターは黒人が出てこない閉鎖的なイギリスの階級社会の象徴なんて評があったが、先日TVで流れた第1作目には黒人さんが何度も出ていた。結局予断とか色眼鏡で見ちゃうと何でもそう見えるのだろう。
 まあ私もそういう可能性はあるかも知れないけど、かといって自分の思ったこと、特に思いを同じくする人々に共に面白いものを見ようとお奨めすることは私の生きている以上、どうしても止められないことだと思っている。
 とにかく面白かった。で、ちょっと怖い。でも、この怖さは子供が成長して行く上で摂取せねばならない大事な毒だ。少なくとも『指輪物語』の先の読めない荒々しい毒とは異質。どちらも良質だが、『ハリー』のほうが柔らかく入って来るかな。