ペット委員会

 ペットをうちのマンションで飼えるようにしていこー、という団体(ペットオーナーズクラブ(POC))で、活動報告を出してます。
 マンションの全戸に配るチラシで、毎月発行です。
 取材・編集とか、ちょっとした文を書いてやってきました。
 そこから。

□春の黄昏□
 我が家の猫がとうとう老衰で衰えてきています。
 彼(猫です)がいなくなったら、我々夫婦は部屋に二人きりになります。ずいぶん心慰めてくれ、持病の発作に苦しんでいる時にすり寄ってくる彼も、もう一ヶ月も餌を食べていません。げっそりと痩せましたが、ヒゲだけは未だにぴんと張っています。
 もしかしたらPOC活動の結果の出る前に死んでしまうかも知れません。妻は彼の異常に心を痛めていたようですが、しかし今では彼の好きなものをできるだけ食べさせ、楽しいままで彼が最期を迎えられるようにと思いながら、ペットのお葬式などのウェブページをじっと見つめています。
 ペットは我々にとっては家族ですが、人間の子はほとんどの場合、自分よりも長生きしてくれます。棺桶に入る順番が決まっている、それはそれで幸せなことかもしれません。
 しかし、私は中学生の頃、弟を亡くしました。
 そこで思うことは、後に残されたものにとって、命は消えても、魂は永遠だということです。決して慣れることもいけないけど、かといって毎回狼狽えるわけにも行きません。そんなことを感じながら、出会えた命の不思議を感じ、その命を優しく見送るつもりです。
 もしこれからPOCが本格的な活動を許されたなら、多くのお子さんやご高齢の方に、こういった命の本当の大切さ、そしてはかなさ、そして力強さを感じさせてくれるペットとの生活が待っていると思っています。
 POCはマナーアップをやっていますが、実のところ、我々POCのメンバーは、ペットを守るというよりも、ペットの存在で、どこまで彼らを愛し、いたわり、努力できるのかを試されているのが真実だと思います。
 ペットとの生活は、そんな学びの機会を与えてくれます。もちろんまだ彼らとの生活は正式には許されていませんが、努力をしながら、我が家の彼を暖かく来世に送り出してやりたいと思っています。

 このようにPOCメンバーはそれぞれのペットの存在に、多くの気付かされることを体験しています。
 これからもPOCの活動を見守ってください。POCはトラブルに全力で対処します。

□別れ□
 前号で紹介した愛猫が死にました。
 15歳、われわれ夫婦のコタツのなかで、眠るように最期を迎えました。2月28日、午後7時でした。
 本来犬猫は死期を悟り、死を見られぬように一人知られないところに隠れて最期を迎えると申しますが、最期まで彼をわれわれ夫婦のなかで見てやれたことが救いでした。
 火葬にした聖園からの帰り道、私は身体が強烈に痛くなりました。痛くて、身動きが取れなくなりました。
 妻は、コタツに足を入れたとき、いつもいてくれる彼に足が触れずにすぽっと抜けてしまった瞬間、ああいなくなったなと思って、胸の中を寒い風が吹きぬけたように思ったようです。
 ペット委員会活動が間に合わず、結局最期まで正式のペットとして認められなかったのは残念のきわみです。
 それ以上に、私たち夫婦が病気があったり、両親といさかいがありながらも独立し、そのうちに両親とも雪解けしたのをすべて見守ってくれた彼の死は重過ぎました。
 そこで、耐えきれず、結局総会までの間、子猫を借りることにしました。
 POCに仮登録の形とし、総会で否決されたら私の愛川の実家にうつすことにしました。
 そうでなければ、とても仕事も出来そうにありませんでした。
 たかが猫のはずでした。しかし、われわれのうれしいとき、悲しいときに常に寄り添ってくれた彼の存在は大きいものでした。
 その子猫を借りる前の夜です。
「あ、ドランちゃん」
 妻が言いました。私も感じました。
 亡くなったはずの彼がいたのです。
 姿はありません。でも、まちがいなくそこにいるのです。
 おわかれにやってきたのでしょう。
 彼が去っていったあと、われわれ夫婦は、命のはかなさと強さを感じました。
 今、家には子猫がいます。借り猫なのですが、元気に家のなかで遊んでいます。
 ペットロストなどたいしたことはないのかもしれないし、私も正直、それほどでもないと思っていました。
 もちろんペットはペットです。子供の代わりには絶対になりません。
 しかし、有史以来、人とともに暮らしていくために進化してきた生き物です。
 情も移り、またあんな小さな頭なのに、ちゃんと人の置かれている苦境をわかって、悩んでいるときにそばに来てくれたりもしていました。
 今、子猫がいます。あと数ヶ月で実家に行くかもしれませんが、彼女もちゃんと人のことが分かっているようです。やんちゃもしますが。
 ペットは、ペットとして飼うからこそ、ペットとして幸せになれるのだなと彼女を見ていて思います。
 そこで、正式には認められない子猫のレンタルですが、総会までの1ヶ月の間、少し許していただけないでしょうか。
 ペット問題の解決まで、もうしわけありませんが、よろしくおねがいします。軟弱なとお思いかもしれませんが、今しばらくの御許しをください。
 
 POCでは、ペットを新規に飼育する際や、ペットを亡くした場合の相談窓口として機能できるように準備を進めております。
 総会で否決されればそれまでとの覚悟は変わりませんが、POCとして全力で、このマンションでの暮らしを豊かに、快適にできるように努力していくつもりです。
 よろしくおねがいします。では。


 なんてことを書いていますが、内容はその通りで、実はミンタさんが大往生して一ヶ月になります。
 今、家には珠子ちゃんという猫がいます。県の動物愛護センターが預かっていた捨て猫です。三毛です。
 当時生まれて1カ月ほど。
 ミンちゃんの思い出を大事にしようとも思いましたが、思い出と言うには余りにも喪失感が強すぎました。


 ぶっちゃけ、これまで何度ユキさんと心中しようかと思い詰めたことか。
 それでも、ミンちゃんが『どしたの?』とやってきて、そのうちに、なんとかやっていけるよ、と思いました。
 精神科通院歴ありの二人です。ぶっちゃけケンカもします。
 でも、そのたびに仲直りし、仲直りできることで絆と信頼を深めてきました。
 そして、そんなユキさんの半生とともにあったのも、ミンちゃんでした。
 ユキさんが私に出会うまでの時代も、ミンちゃんはユキさんとともにいました。
 それを考えれば考えるほど、胸が痛くなったのです。


 そして、珠子ちゃんを受けとりに行きました。
 センターは荒涼とした小高い丘にありました。煙突がありました。センターとはいっても、実際には引き取り手のないペットを処分するところです。
 窓口に現れたお兄さんは、今すぐ連れてきます、と3匹の猫を連れてきました。いずれも雌の三毛です。
 お兄さんは、厳しい人でした。ペットより先に死ぬのは最低であると言っていました。その通りです。
 今、独居老人が亡くなってペットの引き取り手がいなくなることが多いとも話していました。
 よく選んでください、そして、またここに来ることのないようにしてくださいとお兄さんは言いました。
 ご自身も家で猫を飼っているそうです。
 想像するだけで胸が痛くなります。年5000匹処分となる遺棄ペット。そのうち、こうして引き取られるのは70匹前後。そして、その遺棄ペットを処分しながら、家に帰れば自分のペットがいる。胸中を思うとまた刺し入ってきます。
 立派な方でした。
「ペットを飼うのは想像力です。お金だってジャブジャブとかかります。手術もしなければいけません。どこかへ遠出をする時は世話をしてくれる人か施設を探してからでないと行けません」
 そう仰っていました。


 そして、その70数匹の中に、珠子ちゃんが入りました。


 センターから帰ってくるあいだ、私は震える珠子ちゃんをずっと抱いて、撫でてあげました。
 そして、家に着きました。
 すぐにトイレのこともわかりました。
 片手の手のひらで足りてしまう子猫、珠子ちゃん。
 二人で幸せにしてあげよう。
 いつのまにか、私たち夫婦は泣いていました。
 ミンタさん。
 嗚呼。
 命ははかないものです。
 でも、ミンタさんの魂は、珠子ちゃんに受け継がれました。

 
 桜を見ずに、ミンちゃんはなくなりました。
 桜の頃、砧さんはなくなりました。
 生きると言うことは、別れることなのでしょう。
 出会った以上に、別れていくような寂寥感を、桜を見ながら思います。




 珠子ちゃん。うちに来てすぐ。