脳磁計など非侵襲インターフェース

 はじめ私はキーボード、マウス、ディスプレイを統合し、拡張モードで精神的に作用するインターフェースを考えた。
 脳磁計(MEG)を有望視していたけど、現場では機能性MRIを考えるようだ。
 ただ、私の結論として、インターフェースを突き詰めると、インターフェースのない状態がもっとも進んだ状態だと思い至った。
 心と心、感覚と感覚といった、私の身体、私の心というように無限後退の末に、タマシイは粒子ではないかと考えた。その粒子、超弦に還元されるタマシイの種はすべての粒子にあるけれど、そのうち脳を作り、手を操作するものにしてアクティブになる超弦は『縁』のように関係性によって作られると考えた。
 そして、その関係性は超弦のわずかな振動に共鳴してアクティブになる粒子の数、複雑度できまるとして、心は何にでも宿っていると考えた。ただ、宿ってはいても表現する力がない。
 しかし超弦のうちに、遺伝子的淘汰によって関係性を持ち、それで心を構成していくものが現れる。この超弦のアクティブ化はプランクスケールの時間内で常に有無の間に存在しているのであり得る可能性のほうが多い。
 そのアクティブな超弦、自分という超弦の周りに時間が現れ、空間が現れ、身体が構成されてわれわれは生まれ、感じたり怒ったり泣いたりする。
 その超弦を、オカルトでは『銀の糸』と呼ぶらしい。タマシイと世界をつないでいるものは、案外小さいものだと思う。
 そのアクティブな超弦は超弦のパラメータをアドレスとした超巨大な論理空間に存在し、共有されたりつながったり離れたりしている。
 それがアメノミナカのキモで、その個人、主観的な世界では時間は命の後に生まれ、命の後の時間は意味がない。そしてその主観世界を人間は越えることができない。というか、なんでも客観的に見られるとしたらそれは知性として傲慢だろう。どこまで行っても自分は特異点なのだ。
 その主観と主観を結びつけることが縁であり、それはAMEGといった非侵襲性脳デバイスや、空間そのものを読みとり、自動的に主観に介入するのがジェネレーターである。
 とくに空間そのものを読むというのは、サイコメトリーと呼ばれる物体の経てきた歴史を読みとる超能力に似ている。究極のメモリとして空間そのものを記憶媒体とするのがサイコメトリックストレージであり、それは空間に向けて読みとりを開始すると、通常ではオーバーフローするけど、それを越えると空間そのものの歴史、今ある客観の世界をすべて飲み込み、自由にアクセスできるように再配置することができる。
 だから私の作品世界では、その歴史上の主観へのアクセスを可能にする代わりに、客観的な時間の遡航を全面禁止している。
 しかし、その禁を破りたい人々というのはどうしてもいて、そこでせめぎ合いが発生する。
 そのせめぎ合いの一方が、時空管理機構である。宇宙の始まりに起点標を置き、以降の歴史を確定し、主観の共有を可能にするのだ。
 でも歴史にはどうしても確定されると困る人々がいる。
 その争いを今の私は書いている。
 結局人間が考えることは宇宙の歴史のなかですべてかなうと思うので、タイムマシンもできると思っているし、そのためにシファは生まれたんです。