招魂社の復活を

 願います。靖国神社のもとは旧陸海軍が作った招魂社であり、それは国家神道とはやや趣が違っていたような気がする。戦死者の慰霊が主であったようだ。
 そう考えると、某党と並んでしまうただの宗教法人靖国神社でもまだ慰霊の場としての格が足りない気がする。もともと海外の無名戦士の墓には衛兵がいることが多いが、それは衛兵で守らないと荒らされてしまうからだと聞く。隣り合った国はどうしても諍いがあるのが当然なのだ。日本は海が間にあるが、陸続きの国ではそれほど厳しく立たなければ国家が成立せず、国民も守れないのだ。
 そこで靖国の話をおおもとに立ち返るのなら、招魂社を復活したほうがいちばんすんなりするのではないか。そしてちゃんと自衛官なり警官なりに警備させ、主張すべき事は主張する日本という国家の背骨を定めるべきではないか。今の靖国参拝論は自衛隊の存立と同じ内閣法制局の言い訳改憲の域に堕している。
 言い訳ではなく、正面から、日本という国には、守るべき女性と子供がいて、守るべき伝統があって、それは誰が何と言おうと守る最大の価値であると正々堂々と主張することが一番の王道ではないか。それも宗教法人として云々ではなく、招魂社としてちゃんと政府の庇護の下の組織とし、靖国はそれに発展的に解消した方がいいのではないか。
 結局、国としての背骨もないから、国民も背骨がない。遊ぶ金ほしさでひったくりしても未成年なら平気、みたいな不法がまかり通る。
 皇民化教育というが、その実は戦争を是とするのではなく、教育勅語にあるとおり、兄弟家族皆仲良くというものであったし、泥棒はイケナイという最低限の教育だった。しかし、アジアではそれがまだなかったのだ。自衛隊カンボジアPKOでは泥棒はイケナイという教育すらない当時のカンボジアでは重機などの機材は盗まれるのでその防犯管理に苦労したという。
 泥棒はイケナイという当たり前の言葉だが、そこには働く人への感謝をはじめとして、さまざまな人間としての背骨がある。省みすれば中国韓国からの盗賊団などもってのほかである。結局警察が、日本ナメられているところにある。
 そして、日本国憲法を見ていると、あちこち主語がないのである。だれが憲法を作り、だれが憲法を守るのか。その主語が欠落している。国民として利益を得るのなら国民としての義務を果たすべきだ。その国民としての背骨として、政治の体制ではなく、国家という郷土を守って亡くなった人を国として最大限に慰霊する。そのためにはむしろ靖国を発展解消して招魂社を再来させるべきではないか。
 そこから国民とはという存立基の話になる。市民なんてもので国が打ち出の小槌を持っているようにたかる市民団体がいるが、国民として果たすべき義務を果たすところからではなければ話が始まらない。アナキズムと結託した市民運動ではなく、日本という国家が、自衛隊が、そしてその前の陸海軍が失敗したり成功したことを冷静に見るならば、視座が必要であり、それこそ背骨の入った国民の自覚が必要で、平和憲法も私は全否定しない。憲法前文は理想を描いている。だが、それを守るためには多大な労力と、ときには犠牲すら必要とする。決して左巻きの『気軽に憲法について考えてほしい』なんてイベントの感覚では困るのだ。
 国民の生き死には国としての最低限の教育と秩序、そして治安にゆだねられている。その国の背骨と国民の背骨を入れるには、今こそ招魂社の再興をという議論があっても良いのではないか。国家神道の再来なんて騒ぐが、もう祭政一致で良いのではないか。イギリスでは英国国教会として英国王室と国家が結びついているし、アメリカでは大統領が聖書に手を当てて就任宣誓をする。もともとGHQのシロウトが無宗教の国を作ろうとするから無理があちこち来ているのではないか。
 いわゆる国家神道ともまたちがう精神的な背骨を、日本という郷土と人々を守り、支える倫理的な魂を作るために、今こそ招魂社を、と思う。別に靖国に遺骨があるわけでもない、霊爾簿があるだけなのだから、それをさらに宗教団体から格上げするのだから、大きく問題視されるとしても、理想像としてこういう議論があっても良いんじゃないか。
 最終的に、私としては国としての慰霊などはこの招魂社のような特別な宗教施設を作るべきだと思うし、それがない今は靖国がその役目を果たすべきと思う。無宗教の国家などあり得ないと思う。
 無宗教は無論理・無倫理とつながっていると思うのだ。現在の日本では司法制度が唯一犯罪の対策になっているが、道徳などといわず、堂々と日本の心、日本の宗教を教えるべきと思う。
 まあ、私の感覚だし、異論はあると思うので起論としたが、でも私としては何らかの宗教のようなものが国家には必要であると信じている。無宗教の国家はあり得ない。おそらく無宗教の国家などというアイディアはフランス革命のあたりにでてきて、結果ナポレオンの大侵略を招いただけの、人間が人間以上に敬意を示す相手があると言うことを分からなかった時代の残滓であると思う。