靖国参拝、真心は一番強い。

 小泉総理、靖国参拝
 いや、痛烈だったのが相手の国がムカツクから相手と交渉しないと言うのなら安保理理事国入りに反対した中国にムカツクからこっちのほうから交渉なんかしたくねえよ(意訳)みたいに小泉総理が言ったのが痛烈だった。
 考えても見れば、中国は今グレートウォールとかいろいろ言われているように中国国内でのウェブ接続を検閲し、天安門事件チベット侵略や法輪功などの話題を持ちだした中国人ユーザーを逮捕し、政治犯として扱っているとんでもない国である。そしてその検閲に協力しているのもGoogleYahoo!である。この点、もうちょっと日本人とか問題にした方がいいと思うんだけどな。
 結局中国に国際標準、我々の常識は通用しないのだ。
 しかも、先日の日高レポート(TXで日曜放映)では、なんとボスニアで米軍に誤爆されたといわれる中国大使館は、実はボスニア紛争を支援する中国の指揮所が地下にあって、米軍はそれを知って爆撃したが、しかし知った理由を追及されると危険なので誤爆としたという話が放映されたのだ。まあどこまでほんとうかわからないが、だが世界の紛争に安く武器を供給している中国のこと、ありそうだと思えてしまう。だいたいカンボジアに膨大な数の対人地雷を売りつけた中国なのだ。
 
 そんなとんでもない国家がオリンピックを開くと言う。はっきりいって、ベルリンオリンピックや戦前の幻の東京オリンピックと同じように、オリンピック精神と言えば言えるかもしれないが、釈然としないところも大いにある。
 だが、いまではそれも広告権・放送権ビジネス、結局は金次第なのである。

 オリンピックがいかにとんでもないかというと、長野オリンピック。あれは今は無き国土開発の観光開発土建屋ビジネスの一環だったし、そのうえなんとTV中継ではアムウェイのCFすら流れたのだ。
 アムウェイをご存知ないかたはGoogleでアム田ウェイ八でちょっと調べてみればわかる。馬鹿高い洗剤を売って、それを独立ビジネスと称してやっていく国際的ネズミ講企業である。
 そして、長野の自然を破壊しまくった上に、その誘致についての長野県庁の金の動きはなんと今流行りの『資料はすべて燃やした』だったのである。結局オリンピックの感動も金次第、我々は金で感動を買ったのだ。
 良く考えてみれば、たとえば柔と呼ばれている田村亮子、現谷亮子。あの人は負けたことがニュースになるが、彼女に勝った相手の名前はほとんど取り上げられることはない。
 卓球の愛ちゃん。彼女も負けたことはニュースになっても彼女に勝った相手はまるで取り上げられない。
 モーグルの金メダリスト里谷多英は、金メダルをとったのにもかかわらず、表彰台どころか入賞だって難しかった上村愛子のほうがとりあげられる。しかも里谷は事件を起こして追放みたいになったけどその事件だって調べれば後ろ暗い日本のスポーツマスコミの実情が透けて見えてくる。
 結局、スポーツマスコミというか、今のマスコミは報道でもなんでも無く、国民の資産である電波と、再版制度という特権を使って『利殖』にはげんでいるのだ。マスコミの中立性がないのはみなさん感じているだろうが、彼らの商売は絶対に失敗しないように、電波と新聞制度で守られている。こんなウマイ商売が他にあるだろうか。
 そのマスコミの腐りぶりはサッカーのジーコ監督無謬説とオシム監督批判でもわかる。ジーコは選手の自主性を大事にしたというが、要するに監督として統率するようなことはなにもしなかったのだ。なにもしない罪と言うのが無作為責任と言われるようになったが、ジーコはまさに無作為責任である。
 そしてそのジーコジャパンの中心の中田英。私は彼をもうちょっと買っていたのだが、最近になって『サッカーを卒業し、自分さがしの旅に出る』発言ですっかり幻滅した。
 これが29歳の男が言う台詞か。29歳で自分探しか。
 そう思ったら、事実、彼は結局ガキだったのだ。彼のパスはいつも2メートル遠かったのを感じていたが、結局自分の思うとおりに他の選手に動いて欲しい、同じ90分間走ってへとへとのチームメイトにあと2メートル走ってくれなきゃいやいやのガキだったのだ。他国代表で勝ちあがって行く見れば、ちゃんとチームメイトの足元に30センチとずれずにパスを渡すのが常識である。皆平等に疲れているのだ。
 結局、今回のドイツW杯の日本代表は、誰もなにもしない、無責任のかたまりだったのだ。第一チャンスを常にまち、常にシュートにつなげるべく考えなくてはならないFWが『急にパスが来たのでびっくりした』なんて言っている時点でおしまいだろう。
 それをほとんどのマスコミは取り上げない。取り上げても中国新華社通信の自身にとって都合の悪いニュースの流し方、『事実のみを報道』ってやつでごまかして、今度はオシムを叩いてみたり、そのオシムジャパンの評価を保留にしている。つまり、ジーコ翼賛報道が破綻したことで、チキンになって視聴者や読者の反応を探っているのだろう。結局イケイケドンドンであおるだけあおって、こけたら誰かのせいにして平気、これって太平洋戦争のときと同じではないか。

 で、その腐ったマスコミの真似をなぜウェブのブロガーと呼ばれる人もやり始めるのかが良くわからない。うちはアフィリエイトのリンクを張っている。それはもちろん少し収入になればと思わないと言ったら嘘になるが、一番大事なのは、だれがどういう関心を持ってうちを読んでいるかを推察するにはアフィリエイトシステムがいちばんだからだ。
 それが、ろくに内容も無く、ニュースのヘッドラインに1行コメントつけておしまい、それでアクセス件数いくらといって、しかもその周りにはスタイルシートで設定されたアフィリエイトのリンクがどっさり。
 なんで個人が大企業がやってダメだと分かったポータルサイトの真似をしたがるのかが良くわからない。
 あと、嘘のニュースや嘘に限りなくちかい虚偽の議論を流して、結果『ネットリテラシーを教えてあげた』なんていう人々。
 まあ、匿名なんだから匿名の恥はかきすてなんだろうと思うけどさ、なんで朝日新聞のサンゴに字をかくようなことを真似せねばならないのだ?
 せっかくウェブという世界があるのに、そういう人々は小さなマスコミとして、大きなマスコミの腐った部分まで真似をする。なんと心ないことか。
 結局、心が腐りきっているのだ。真心がないのだ。
 私も確かに間違えたことをいうことはある。私は自分を無謬とは決して思わない。だが、私は真心を書く。馬鹿な人がなんだか2ちゃんねるでぼそぼそつぶやいているようだが、結局は私にちゃんとまともに意見も言えないチキンに過ぎない。これまで何件か中傷のメールが届いたが、1行しかなかった。論理的な展開もないくだらないメールだった。まあ、論理的に考えられない、筋道を立てて意見を言えない馬鹿どもだから仕方がない。でも、ちゃんと私の間違いを指摘してくれる人もいるし、そういう人々はちゃんと論理的に、当然礼儀も守っていた。余談だが。

 だが、今のブロガーと呼ばれる人々のなかには、アクセス件数を誇るなかで、次第に真心を忘れていって、しまいには嘘をついたり、利殖の手段にする。
 それは今のウェブでマスゴミとマスコミを呼ぶ人々でさえ、いつその自分がそのマスゴミになるかと心に止めて欲しいことなのだ。

 企業にしろ個人にしろ、真心を失ったとき、罰が下る。不運は訪れる。
 私自身、それを感じる。

 人間の心は脳のなかにあるのではない。人間と人間、脳と脳が対話する世界のなかで、目に見えない関係性の上に存在する半透膜として存在すると私は思っている。
 つまり、心の壁、『えばんげりおん』でいうところのATフィールドなのだ。ちなみにその壁を構成させる駆動体がうちではAMEG_EXやKey of gold、SILVERと呼んでいるものだ。
 で、その目に見えない壁は、個人のもの、夫婦のもの、家族のもの、国のものと包含関係で広がって行く。その究極の大きな壁が欧米やイスラム一神教で言う神である。
 ちなみに日本の神道や仏教はその世界観そのものを言っているのであり、神は同じように目に見えない壁でありながら、関心はその一番外側の『存在』よりもその一番内側の『作用』に向いているところが決定的に違う。
 そこで心の隙という話だが、世界は物質で出来ているのではない、関係性で出来ているというのが私のアメノミナカシステムというSF世界観なのだが、その関係性を言いかえれば、世界はすべて心で出来ているとも言える。
 物言わぬ路傍の石にさえ魂があり、心があって存在しているのだ。そこで八百万の神神の国という日本的な思想に戻ってくる。日本は神の国ですかなどというキリスト教の馬鹿な牧師とその取り巻きがたまに司法の場に無駄な仕事を増やすような訴訟を起こすが、キリスト教神道の神の概念は完全に違うのである。そして、私は彼らが『信教の自由を奪われた』と主張するので、もし暇と金があったら私も『くだらない主張で日常の心の平穏を奪われた』と彼らを告発してやろうかとすら思う。結局は彼らの不勉強と不寛容なのだ。
 話を戻して心の隙だが、そういうものは、心を込めて仕事をしている人々にとって、本当に恐ろしいものなのだ。気持ちを押さえて仕事をするなどという人々は仕事の醍醐味をわかっていない。気持ちを押さえるのでは無く、気持ちも心も、そして全身全霊、さらに自分の力では足りないところでさえ、目に見えないなにかの力を借りてでも仕事をしようとするのが真心の仕事であろう。
 結局、そういう真心で仕事をする人だからこそ、そのわずかな隙が仕事に影響する。私もこれを思い知るまで時間がかかったが、でも真心というのは本当に響きあい、伝わり、悟られてしまうのだ。

 たかがウェブというかもしれない。だが、今のウェブは小さな情報産業のあつまりなのである。そこで発言するときに、拙くてもいいし、言う言葉が足りなければ、言葉の足りている人々の言葉を借りてもいい。
 しかし、真心が無ければ、単なるデマと噂話が行きかう下世話週刊誌と下世話夕刊紙、そしてそのあとを追っておかしな状態になったマスゴミと同じになってしまうことを自覚せねばならない。

 小泉総理の政策には、私も正直、これは腰ダメだなとか、他の政策と抱き合わせで通しているなというおかしなものもある。
 だが、彼は日本を考える上で、数々の政権が問われるべき無作為責任をとりかえしたのだ。
 宮沢喜一がなにをした? 細川護熙がなにをした? 羽田は? 村山は? 橋本龍太郎は?
 みな、結局中途半端なまま終わった。だが、小泉は、拙くとも、手を着け、それぞれに結果を出した。不審船事件、テポドン、いろいろあったけれど、小泉はそれでも耐えた。耐えて、こうして議論できる社会にした。
 もちろんそれは小泉だけで出来たわけではない。だが、これまで何もしなければ、大過無くすごせればという人々とは一線を画した。それは評価できると思う。
 小泉総理は靖国参拝のあとは千鳥が淵への参拝である。結局無宗教の国立墓地をなどというが、靖国と千鳥が淵、そして武道館での慰霊式典で今は十分ではないか。
 これからは私としては靖国神社の名前でもいいが、まずその一歩として国家に健全なる真心を取り戻すための招魂社の復活を思うが、結局、すべてはマスゴミがお盆休みの間の時間潰しにたいして取材経費もかからない靖国問題を焚きつけているだけの気がする。
 本来なら、レギュラーを張っていた記者の休みの間に、控えに甘んじていた心ある人々が活躍すべきであろう。長い時間を必要とする特集などはこういう時にやるべきだろう。
 ところが今は暇潰しと、あと奇怪な反戦ドラマがながされる。
さとうきび畑の歌』にしろ『明日』にしろ、見れば見るほど、ああ戦争はこうやって風化して行くのだなと思う。びっくりすることに、そんな反戦ドラマの中にはなんと戦前戦中の兵学校や陸士に女性が入ったなんて常識外れの筋書きがあって悶絶してしまう。

 戦争はなぜ起きるかと言うと、極端な話、戦争には『魅力がある』のだ。誰が何と言おうとも。
 いかに醜悪で悲惨であっても、そこに魅力があるのだ。それを真正面で、真心で問うところに私の戦記への思いがある。光人社NF文庫にしろ学研M文庫にしろ、そういうものに収録された戦争体験者の話は、決してあの奇怪な再現ドラマとはちがうリアルさ、生々しさがある。そして、そこに本当に考えるべき、戦争の魅力がある。
 反戦を訴えるなら、その戦争の魅力を本当に解釈し、その魅力を別のかたちで自在に再現できるようにならないと真の意味での反戦は訴えられないと思うのだ。
 それができないと、結局、負けた戦争だったからいけないのだ、というところに落ち着いてしまうのである。そして今まさにそうなっている。
 それならむしろ、勝った戦争のことを描いた方が戦争の真実に迫れるのではないか。そう思って〈久里尾根〉や『大和不沈』を書いたというところもあるのだ。

 結局、小泉政権のなかで小泉総理のどこからどこまでが演出で、どこまでが真心だったのかは計り知れない。
 だが、私は、小泉は私の真心を代弁してくれたと思う。小泉が政治的な手としてやったとしても、私は私の真心が小泉によってなされたことで、痛快なのである。
 当人の真心は当人にしかわからない。だが、政治とは、国民の真心をうけて、自治体なり国なりの心として発現させることなのである。小泉はその国民の真心を投票でも世論調査でもあつめて、実施した。
 それでいいのだ。もう数週間でポスト小泉の時代になる。そこで、我々も真心を、いろいろなところで発現していこうと思うのである。それこそが本当の社会であり、国であり、共同体なのだ。

 そして、迫ってきた北京オリンピック
 オリンピック精神と言うものに私は疑問を持つが、だからこそ、その土俵で、敵地で勝つことにこそ痛快さがあると思うべきだろう。現実に北朝鮮情勢で中止になるかもしれないが、開催されるなら、堂々と参加し、中国の翼賛体制のアウェイのスタジアムのなかで、堂々と金メダルを取り、君が代を歌うことこそ痛快なことであろう。そのときこそ、築地をはじめとしたマスゴミは重大な自己矛盾に陥るのだから。
 そして、思いあがった中国に世界標準というものを見せつけ、恥ずかしくて二度と自国でオリンピックなど開けないと思わせてやりたいのだ。
 ある意味、それこそが真のオリンピック精神なのかもしれない。
 北京オリンピック、そういう皮肉な意味で楽しみである。

#ちなみに
 大石英司先生のところでアジア各国の今回の靖国参拝へのコメントが引用されている。痛烈なのでご覧頂きたい。『我々は中国韓国のような卑怯な外交はしない』ベトナム
 http://eiji.txt-nifty.com/diary/2006/08/post_39d0.html