教育の現場、相互不信をはじめたのは誰か

 教育基本法タウンミーティングのヤラセと、野党の国会審議欠席。
 結局、日教組が対決色ばかり煽って、実のある議論ができないから文部科学省もヤラセをせざるをいけなくなったのだし、野党も支持母体の日教組に踊らされて子供の教育をどうするかまじめに考えられないのだろう。
 日教組の亡国運動、まさにここにきわまれりである。文部省が国民として当然覚えておくべき日本国の歴史を教えようとすると個性の圧殺と言うが、日教組の強かった私の母校では教師がむちゃくちゃな左的カリキュラム、亡国反日教育、反自衛隊教育をやっていた。あれも個性の圧殺ではないのか。
 そして履修偽装。これも日教組と文部省の間の下らぬ政争の間で子供が犠牲になったのだ。
 大学受験のための勉強というが、大学側にも『落とすための試験』を作っている私学が散見される。なんでスパルタの北隣のさらに隣の国の王子の名を知っていることが世界史の素養を量ることになるのか、私にはさっぱり分からない(某有名私大の入試でそんな問題があった)。
 政治的に影響があったとか、ギリシアの歴史に、そして歴史全体に影響があるのならまだしも、受験はアメリカ横断ウルトラクイズじゃないんだぞ。
 筋が通らないので私はセンター試験中心の勉強だった。ま、私の志望校はセンター試験と小論文だったし。
 結局大人の都合で子供が振り回されているのだ。
 その上で元総理の森喜朗は『寛大な措置を』と言う。呆れて話にならない。究極的に寛大な措置をするなら高校入学だけで高校卒業の資格を与えるようなものではないか。
 教育とは、時間をかけて、一つ一つ調べ、覚え、学び、身体に滲み込ませるのが教育だ。それすらわかっていないこんなどうしようもない大人が総理の国だったのだから、もう何が起きてもおかしくない。