佐藤守先生の出会った研究者

 http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20061114/1163467060
 『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』の監修者の話が面白かった。
 http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/
 併せてこの2部作の予告編をご覧頂きたい。渡辺謙の栗林中将がすばらしく極まっている。
 日本人として思うけれど、なぜああいう『反日』的な人々が自分の祖父祖母をああやって批判せねばならないのかが理解できない。いったいどういう家庭だったのだ? 自分のおじいさんおばあさんだよ。自分につながる中で、人生を必死に生きてきたんだよ。なんであんな悪し様に言えるのか。病理に似たものを感じてしまう。
 武運という言葉がある。大義とはまた別で、命を受けて任務に赴き、そこで戦う上での運である。その言葉の次元には大義だの正義だのはない。いかに間違っていようとも、生き残り、子や孫を守るためには死力を尽くした上で、武運を願わねばならない。
 その次元においては、人間は死にものぐるいである。それでも恐怖と緊張とも戦うためには理性と知識・訓練を生かさねばならない。戦いの混乱の中では、時に恐ろしいほどの沈黙と、時に頭が真っ白になりそうなパニックを体験する。
 その人々は、その次元で、ただひたすら、武運長久を願ってくれた人々のために、生き、戦い、守ろうとした。
 それをなぜ大義だの正義だので我々現代人が裁けるのか。まさに傲慢である。
 為政者は時に間違う。馬鹿な為政者はいる。だが、封建社会の時代から、人望という面で愚かな為政者は追放され、失脚させられてきた。
 為政者を批判する現在の左巻きだのマスゴミは、その批判している姿勢に酔い、その無責任でいられる立場に安住しているのだ。国民のためを思うのなら正々堂々と審議に応じ、最後数で負けるとしても、持論を開陳して戦うべきだろう。それがしまいにゃ牛歩戦術であった。
 これがサムライの国の人々のメンタリティだろうか。いや、メンタリティと言うよりも、もう大人がいなくなったのだ。皆子供なのだ。責任を持つと言うこと、責任を果たすと言うことを考えない、ただただその場しのぎで生きているから秋田のあのバカ女のような離婚を繰り返し終いには子供まで殺してしまうのだ。