華麗なる読書

 『華麗なる一族』原作文庫上中下をイッキに購入して読む。

華麗なる一族(上) (新潮文庫)

華麗なる一族(上) (新潮文庫)

華麗なる一族(中) (新潮文庫)

華麗なる一族(中) (新潮文庫)

華麗なる一族(下) (新潮文庫)

華麗なる一族(下) (新潮文庫)

 元々は金融再編の話で、そこに銀行間の争いの手駒として製鉄所の話が入るのが原作なので、テレビは別物とみるのが正解だと思った。原作は面白いけど、TVも別のものとして面白くなってくれればそれは正しいと思う。
 とりあえず、最近雑感で思うのが、スピンオフというものが日本には根付いていないのではないかということである。踊る大捜査線のスピンオフは踊る大捜査線のテイストで作った外伝でなくて当然なのです。むしろ踊る本編に出てくる登場人物がそれぞれに別のテイストを持ってストーリーとなり、それが結果踊る本編では絶対に全て書き得ない広がりをもつところに踊るフリークとしてはスピンオフの楽しみを見いだすのです。
 で、私的には踊る3はできると思う。『みんなの心の中に和久さんは生きている』でいいと思うのです。人間はいつか死ぬ。みんな死ぬ。でも、魂は受け継がれていく。それが深い物語なのです。
 で、『華麗なる一族』に戻ると、テレビののけぞるような演出の一端はあることはある。『肖像画』のシーンも『将軍』のシーンもある。さすがにあそこまであざとく演出はしていなかったけど。原作では将軍は黒い鯉です。TVでは金色の鯉でした。
 でも原作は別のアザトサがあって、大介の体の描写とかかなりえぐいし(寝室では歳を感じさせないとか)、3ベッドルームは真ん中がダブルベッドだったりしてさらにいやーん。
 で、大筋は理解した。
 果たしてテレビのスタッフがどのように演出するか。
 最近私が重視するのはストーリーやアイディアだけではなく、むしろ演出である。
 ストーリーやアイディアはなれてくればなんとか書ける。
 でも、それをグッと押し込む演出力は大事だなと思うのです。
 
 
 で、某人に進められた『だって愛してる』。財政事情につきどうかと思ったらネンシュツして購入してしまった。
だって愛してる 1 (まんがタイムコミックス)

だって愛してる 1 (まんがタイムコミックス)

 いい。私は酒は寝にくいときに焼酎小コップ1センチをお湯に溶いて飲むていどで酒席では飲めるけど家では飲酒はやらないし、タバコもやらない。パチンコなどもってのほかである。
 でもね、鉄道模型をやったり、ジイテイストというかチェッコリはたまにする(歳のせいか最近3日に1回になった)。まあ後者は男性の生理だし、これがあるおかげで穏やかに過ごせるので仕方がないけど、鉄道模型は『鉄道とは 金を失う道と 見つけたり』(某ブログ)みたいなもので申し訳ない気も少しある。
 あとは原稿の日々。細々とやっているけど、おおむね原稿。
 で、ユキさんはスーパーのお総菜バックヤードでパート2時間(ごくたまに3時間、年末年始最長4時間まで延長)。
 あとは家で二人で創作の日々なのです。
 たまにユキさんが寝込んで、それがふて寝みたいで行き違いでケンカになったけど、この新年は未だにケンカも一切なく、もちろんあるケンカといってもちょっとした口論という他愛のないものに収まる。ケンカをもししても、寝るときはいつも一緒。
 しかし『だって愛してる』はおとうちゃんはパチンコタバコ酒釣り堀。お嫁さんの街子さんは八百屋パート。で、ベアナックルで街子さんはおとうちゃんを仕事しろと殴る。まあマンガだから誇張されているけど、まあ類似と言うところではあんまり無いんだけど、でも楽しいマンガで大変よろしゅうございました。
 というか、やっぱりじわっと来るところはあるんだよね。
 今ユキさんが描いているユキマンガも、最新号で一瞬じわっときてしまった。ちょっと叙情的なのが魅力。