安くすませていいものと、高くても価値のあるもの

 内心ずっと思っている。
 スペースシャトルって、そんなに高いものだったのだろうか。
 まあ、マニアの言うことは割り引かないといけない。ずっと前、第二東名道路を今作るのなら開通させた時点で第二東名分の12車線をつくればよかったじゃないかと言う鉄道マニアがそう記事を書いていて、ものすごくドンビキした。鉄道ジャーナルに載っていた話だからジャーナルもどうかと思うけど。東名ができた頃の自動車普及率を考えない論法にドンビキ。
 同じように、シャトル松浦晋也さんがさんざん書いていて、私もそれを何冊か買って読んだし、残りは図書館で借りる。でも、シャトルが時代遅れというのは今だから言える話じゃないのか。登場当時のシャトルは夢だった。それもアメリカ国民が熱くなる夢だった。だから一号機は確かエンタープライズと名付けられたはずだ。(スタートレックファンの署名運動の逸話は有名ですね)


#ちなみにスタートレックというとトム・クランシーもかなりのトレッキーだった。レッド・オクトーバ以来合衆国崩壊までのシリーズでロサンゼルス級の発令所は彼にかかればまるでスタートレックだったし、ST派生のネタも多い。


 どうにも日本の宇宙機の話をする人で、このロマンと夢と経済と政治のバランスの取れた視点の人が少ないというか、まあ沈黙の知なんだろうなと思うことが多い。言う人に限って夢ばっかりだったり、経済性だけだったり。
 確かに弾道飛行も夢だろう。だが、それはシャトルや往還機の夢とは別物だろう。アタリマエだ。ましてや宇宙開発が民間主導になるというのもそれもおかしな話である。民間でやるべきものと、国でやるべきものがあるのは当然だ。それを二者択一にするのは了見が狭くないか。
 あと、宇宙の軍事利用だけど、情報衛星をハコモノといってはばからない人がいるけど、これもね。自衛隊には特に空自に画像分析隊というのがあったはず。RF-4など偵察機が撮影した画像を分析する部隊で、地震が起きると連携してRF-4がスクランブルして自身の被害地を撮影し、画像分析隊が撮影した画像を分析して被害状況の把握に役立てている。一度このミッションで飛び立ったRF-4が事故で墜落したこともあったような。
 そういう人的な資源があるという文脈抜きになんか朝日新聞的というか、東京マガジン的な安い文句エントリ書くのも、まあ仕方がないかとあきらめているけど、なんだかな。
 夢を持つのは勝手だ。私も夢を持っている。でも、現実に負けない夢と、現実を無視した夢が違うのもそうだし、今の時代の観点でシャトルを否定しても、まあそうだな、という感じで、とうのNASA自身が次世代機を開発したり平行して通常型ロケットを打ち上げている面で、なんだか科学ジャーナリズムってこんな軽いものだったのかの遺憾な感じを覚える。
 宇宙開発にもレイヤーがあり、通信分野などでは民間でペイできても、惑星宇宙探査は当然国の税金でやるべきだろう。惑星探査で資金を回収するのはどう考えてもずっと先だ。
 そこではやぶさ2の話だけど、うーん。なんかね、アメリカに油揚げさらわれるのがムカツク、以外の理由があるんだろうか。
 確かに日本がオリジナル技術で全部やりました、といえば溜飲が下がる人々もいるだろう。でも、宇宙探査はまだ夢と夢を叶える国という組織の持っている機能の一部であり、それを100%日本で、というのはもう無理なんじゃないかな。カーレースのF1でも、100%日の丸のチームでやれたらそりゃ私も胸がすくけど、そうもいかないだろう。やはり国際化の時代だし、F-1ホンダ黄金期ではホンダエンジンにシャーシは海外、ドライバーも一部を除いて海外だった。
 国際共同開発のF-2が失敗作というのは例の東京新聞の記事に引っ張られすぎではないか。T-2CCV以来の技術も使っているし、その結果がDy・MLCなどのモードでカナードがなくても高機動は可能というF-2の機能をもたらしたし、F-1を使わされていたパイロットに聞くと、ガタガタ五月蠅く言われているけど、飛行機の開発でこんなにうまくいくのは珍しいでしょ、という。
 事実グリペンは事故を起こして機体を失っている。それにピトー管によるレーダー干渉だって飛行機というものの複雑さの中でそういう凡ミスだけで済んだのは祝うべき事なんじゃないのか。新AAM(AMRAAM級)の搭載機能は当初予定になかったんだし、そういう予定を立てたら当時の大蔵から過大計画と突っ込まれただろう。でも、F-2の単発のエンジンとはいえあのエンジンの出力から、まだ搭載余力はあるだろう。T-2の開発の話を聞くと、作る側は日の丸計画でうまく行ったと思ったらしいけど、それに乗らねばならなかったパイロットにとっては非力で仕方がなかったとさんざんである。航空機開発にとって、空力は確かに大事だが、しかしエンジンの出力が先ず第一であり、非力なエンジンはどうにもならないが、余裕のあるエンジンはまだ将来への工夫のしどころがある。新AAMの搭載だって、いずれ必要になれば機器を更新するのは普通でもやっているからそれに載せてしまえばいいのだし、どっちにしろパイロットのヘルメットにHMDを導入する実験もやっている。我々批評ができるような口を利く門外漢があーだこーだ言わなくても順当に改善されていくだろう。
 たしかにはやぶさ計画は実に良かったと思う。日本の宇宙開発の現状の中で身の丈に合った計画で、それも成功していると思う。でも、それをもう一回、というのは本気だろうか。あえて地雷を踏むつもりで言うが、はやぶさ2ははやぶさ1のときぐらいにさらにいろいろな新技術を盛り込まないと実現できないし、それは他のマニアが萌え話としてメールするのは勝手だが、私はあんまり乗り気になれない。夢夢しい話として押し出すのならH-2Aの打ち上げの実績づくりの上での計画はJAXA自身考えているだろうし、はやぶさはやぶさ2ではなく、別の計画として同様にやるしかないんじゃないだろうか。
 航空宇宙開発の歴史を見ていると、昔はドイツもイタリアもフランスもイギリスも独自機をがんがん作っていた。それが経済的な理由と政治的理由をバランスさせ、エアバスになったり、ユーロファイターになったりしたのだし、日本も日本独自ということにこだわりすぎず、もっと実効的な夢のある話をした方がいいんじゃないのか。
 ましてや有人飛行をしたいとH-2Aの上に生命維持カプセル載っけて宇宙に出たところで、結果は中国の後追いになりましたぐらいにしかならないんじゃないのか。それも中国はデブリ撒き放題の衛星破壊実験をするような常識のない国である。日本がその後追いでただ行って戻ってくるだけのカプセル宇宙船で有人飛行をして発揚される国威などたかが知れている。宇宙を身近にという程度だったらH-2Aという機材を使わずバート・ルータンの弾道飛行に任せた方がいいだろう。
 どうにも自分がマニアなせいか、時々他のマニアを見ていると、どきっとしたりする。正直ドンビキすることすらある。無意味に複雑にしたり、外見の派手さに惑わされないのが本当の開発者というものではないか。そういう人たちにとっては、信頼性と有効性から考えればべつにWindowsXPとかMacOSなんかいらないだろう。自分でマイクロコード書ける技術者だったらなにもMSやAppleに頼らずに自分にとって最適な計算機を作れるだろう。それをただ見た目で未だに古い機械を使っているというのはあまりにも浅いマニアの目ではないか。


 月周回衛星計画「セレーネ(SELENE)」
http://www.jaxa.jp/missions/projects/sat/exploration/selene/index_j.html


 の月に願いをプロジェクトがいまいち盛り上がっていないと言われる(参項朝日新聞)羽目に陥るのもそのマニア受けのところでなにか勘違いがあるからじゃないのかと毒を吐いてみる。
 科学的には立派な計画だと思うし、もっと評価されるべきだと思う。どっちにしろ宇宙には燃えてくれる大気はないので、燃料になるべきものや構造体の原料は今のところすべて重力の底の地球から打ち上げるしかない。それじゃ将来のさらなる探査活動がにっちもさっちもいかないから月を利用しよう、という話で、夢もあるし、未来にもつながっていくし、実現性や調達性から見ても良いと思う。現状で言われているはやぶさ2よりもこっちのほうをちゃんと決着させるようにしたほうがいいんじゃないのか。
 はやぶさ2にさらに夢が乗るのならはやぶさ2ガンバレと思うけど、同じ日本で一回やってもう一回、というのは、逆の論法を使えば一回やったけどいまいちだった、さらには失敗だったと認めてしまうことになりはしないか。
 充分はやぶさ計画は成功している。苦しいながらまだ手を尽くしてやっている。リアクションホイールの不具合だって、じゃあ日本が今からそれを自作できるようにするとして、信頼性が確保されるまでいくら、何年かかるのか、そしてそれができる企業がいくつもあることがはたして人類に幸福なのか。その反面でできなくなる計画もあるはず。となると、予算さえあればと言う架空戦記みたいな話ではなく、ある予算の中でできるかぎりの工夫をすることが現実的ではないのか。
 内心、そんなことを思いながら宇宙関係のページをROMっていたけど、こういう私の考えは異端なんだろうな。まあいいや。私はそういう方面で『指導的立場』に立てるとも思わないし、ムーブメントなんか当然作れない。細々と自分のSFを描いているだけなのだから、まあチラシの裏としてスルーで十分だが、最近ますます疑問が募って、閾値を越えてしまった。