プロフェッショナル・宮崎駿

 宮崎駿のテレビを録画で見る。
 しかしこのプロフェッショナルという番組、茂木という脳科学者が出るけど、あまりにも可哀想だ。進行台本がそうだからそこを聞かなきゃいけないんだろうけど、全然脳科学者の知識じゃない凡庸なインタビューに終始。
 何度も宮崎駿は違うと言っているのにアシスタントと同じ、凡庸な質問を繰り返す。
 ジブリのプロデューサーはNHKにコマーシャルを打とうという考えなのだろうが、こんなことになって誰が愉快になるのだろうか。
 アイディアをまとめるのは一人の作業だし、端くれの私だってその段階になるとたとえユキさんであっても『ごめん』と言って独りになる。
 めったにあることではないが、シーンを展開させたり、シーンを掘り下げたりする時はあえて雑音を作って気を散らしながらでないとのめり込んでミスをするのだが、それをつなぎ合わせて一つの話にする時、集中力が一番必要。
 その上息子の映画を見て憮然とする宮崎駿。何が聞きたい、と言うけど、ホント、そういうカメラの追いかけかたされると本当に不愉快だろうなあ。
 商売というのはたいへんだなあ。


 とはいえ私も『電パチ』を書いて、200枚を越えた。ユキさんが寝入ってからの作業だったのだが、あとでユキさんに読んでもらうとミスがあり絶句。
 いわゆる透明感のある文章らしい。
 勘違いしている人がいるけど、透明感は文章の褒め言葉ではない。味も色も付いていないだけで、結局描写も足りないし、掘り下げも足りないのだ。
 技術アイディア先行型の作家にありがちだが、アイディアを展開する時、展開するに従って外界は変容する。どんな良いアイディアでも、そのアイディアが動く時、誰かが考え、誰かが見て、それによって何かが動き、何かが何色かになっているし、そのとき、アイディアに注目して注意できないところをしっかりマスキングするように演出せねばならない。
 それが描写力というものだ。このことに気付くまで15年かかった。15年かけたからこそ身に沁みて分かる。
 味が無いのと、澄んだ味は違う。
 私は気付いたけど、でも実作でどこまで出来るかというと、まだまだ。
 ともかく『電パチ』、フザケタ名前ですけど、かなり重い作品です。
 これから夜なべ作業です。冒頭のグレードアップをしたい。
 かなり身を切る作業が続くけど、外側に展開する方法も分かった。
 何とかやっていこうと思う。