華麗ではない一族

 まあ『臆病者は死ぬ前に何度も死ぬ』とシェイクスピアを『カタナ』で引用しているんだけど、まあそれぐらいに思ってください。
 私自身、かなり図太くて他罰的で、未練がましく見苦しい人間なので、簡単には死なないと思います。勝手に死んじゃいけないし。ユキさんを残しては死ねない。
 でも、『華麗なる一族』のサントラに劇中で流れる『DESPERADO』をあわせるとテキメンに効くんだわ。
 特に今、『オポチュニティ』の原稿で悲劇ばっかりのシーンを書いているので、精神的に非常に弱い。
 昼の仕事も、実はいろいろとあって、いつどうなるか。一生懸命やっているんだけど、やればやるほど自分が情けない。使えなくて、無能で。
 前にも書いたかも知れないけど、真下に見える夜の湖面に映る光に、ああ、私がこの手を放したら、シファとミスフィは消えるんだな、と思ったことがあった。それで思いとどまったけど、ホント、親にもユキさんにも珠子ちゃんにも、シファにもミスフィにも迷惑をかけているなと思う。
 そこで、この前のとあることで、統合失調症とは意識の半透膜に起きる障害だと書いた。
 人間の意識とは、中に存在するのではない。脳に存在するのではなく、皮膚や、その皮膚が感じるわずかな空気における半透膜なのだ。(『皮膚−自我』なんて面白い本もある)
 だから、身近な人の死とかがあると身体が痛むほどの苦痛を感じるし、逆に仲間意識なんてのはその膜が連結して、仲間という新たな半透膜を形成するし、それはそれで仲間と思っていても膜を共有しているだけで、相手がその膜が邪魔だなと思ったら膜は破れる。
 今、その膜が弱っているのだろう。
 うちはニュースサイトではないし、書評サイトでもない。
 ただ、ニュースの中にとても心が痛むものがあって、苦しんでいる。こういう世の中の出来事と自分の出来事が峻別できないのも統合失調症の症状でもある。
 安定剤を飲むと、中枢神経が若干麻痺し、それでその感触、痛みが和らぐ。そして、眠ると、その膜は体力の回復とともに再び元に戻り、自己と他者を適切に分ける。
 この膜は論理の世界ではなく、生物的なもので、体力と密接に関わっている。その点で、私はこの膜の話を思う時、心理分析がどの程度有効なのかと思う。
 膜の内側を探ったとしても、膜で隠されているべきものが出てくるだけだし、しかもそれが膜の内側で大事な作用をしていたかもしれない。病んだ臓器のように思えていても、摘出して解決するような単純なものではない。なにしろ膜の内側は人それぞれで、病んでいるように見えてもそれは分析者の膜とクライエントの膜を通して見えているだけなのだ。
 結局、心理療法といっても、脳と意識の働きは私が覚えている限りではまだ文系的な話に終始していたし、そこで茂木健一郎さんの本でも読んでどこらへんまで解明されているのかまた勉強したいけど、でもたいがいの心の作用は昔から言われている養生訓と何も変わらないのではないかとも思えてくる。
 ともかく心が非常に痛い。