ユキさん作シファ図版

 落成しました。


http://d.hatena.ne.jp/yuki_pinky/20070611


 フリーペーパー用に始めたんだけど、かなり気合い乗ってます。いずれうちのページにも複製しますが、ユキさんの努力を評価してあげてください。
 ちなみに私も三連休です。


 『水色スプラッシュ』、もう少し背中を出してほしかったというのが個人的意見。でも競泳水着のデザインの魅力は十分に出てます。でも競泳水着ってもっとバリエーションがあるんだよなあ。あと、打ち切りらしいという話にも不安。いいマンガだと思うんだけどなー。
 で、『のだめカンタービレ』18巻も出るけど、もう漫画誌というパッケージングに無理が出ているような。これだけ趣味が多様化・深化しているのに総合誌じゃやっていけないと思うのだが。小説がそうであったように、マンガもいずれ恐ろしいことに書き下ろしマンガ単行本という時代がくるのではないか。そうなったら書く側が地獄だけど、現実に小説でも地獄度はさんざん上がっている。いずれマンガ総合誌は無料誌化するのではないか。書き下ろしマンガ単行本の宣伝と収益改善のための他業種の宣伝を増やした雑誌に。
 ホント、ものすごいインフレ状態だからなあ。何かの本で読んだけど、昔の本の採算ラインと今じゃ全然違う。夏目漱石なんか奥付に印税計算用の検印自分で押してたらしいし。今は検印省略になっているけど、故山田正弘先生によれば実売部数の?%という契約にして著者をだました例があったらしい。今は実売部数のデータベースがあるという話が竹熊健太郎さんのblogにあったけど、そうなるとデビューするということはそのまま出版社から金を借りることに近いと思う。まあ向こうも商売だけど、こうなると一度こけたら再起不能なんだなと思う。どの業界でもそうだけど。
 なんか考えていると限りなく『ナニワ金融道』的に思えてきた。まあ、私としてはともあれ売れる売れないよりもいいものを描くことが大事で、『とりあえず売れる』という妥協を強いられたのもあってウェブ販売に入って、バイトにも比重を置くようにしたんだけど。
 今の出版の世界じゃよほどバックアップがなければ大きなネタはかけられないよ。短編ブームなんか私はずっと前から短編は需要があると言って来たし、かといって大きなネタをやらないと大きな感動も大きな喜びもないのだから、息の長い長編もやるべきだと思うのだけど。
 そういやなんかで見たけど、なんかウェブで書評サイトのつもりみたいな感想文サイト書いてる人で、なんかうちをあてこすっているのがいたな。まあ、書評なんて昔から比べたらさらにカネにならないんだし、書評というものが何であるかもわからない人がほとんどだ。書評は感想文ではない。それすらわからないし、著者の意図もわからないというか、もっといえば日本語も読めないのに感想文書いてるバカもいる。まあウェブなんて何書こうと自由なんだろうし、せいぜい後で自分のやってることの低次元さに恥ずかしくならないようにすればいいとだけ言っておくけど、ほんと見ているこっちが恥ずかしい。まあ自由だけどさ。某チャンネルの影響か、人を腹立たせるだけの数行しかかけない、それが日本語の世界だと思っているバカもいる。
 それもまた移ろいゆく日本語の世界だし、その日本語にたいする定見もなしに『正しい日本語』なんてものを言い出すバカもいる。『正しい』と判断するだけの知見があるとはとうてい思えないのだが。言葉はかわりゆくもので、昔は『ありがとう』という言葉だって恥ずかしい言葉だったんだよ。(有り難う、だから、あってあたりまえのことにまで有り難うというのはおかしな言葉になるというロジックだったらしい)。
 正邪の判断とか巧拙の判断とか、結局自分でできないからフリーライターがひも付きで書く書評のマネをするんだろう。本当に物事の本質を見極める力を持とうという人間としての矜持もないくせに他人に文句をつけられるのだから、今の世の中は誰が何と言おうとそういう人々にとっては天国だろう。
 そんなつまらない感想文書くよりも、もっと面白いことや面白いモノはいっぱいある。日本の教育自身が個性化といいながらそういう日和見感想家を増やすような方向にしか働いてこなかったのも責任があると思うが、本当に見識のある人は騒ぐことはない。ただ、かわいそうなことにそういう騒ぐことでしかカネにならないマスゴミの『評論家』は騒ぐけど、メッタぎりしているつもりかも知れないけど、そうやっているあなたもこれで切ったつもりになっているのかとオトナの対応されているという事もある。
 本当にろくでもない。これ以上私も普段疑問とすることを書くと仕事をする時間がなくなるので書かないけど、金融業は良心を金に換える仕事だと『ナニワ金融道』にあったが、文筆業、とくにそういうマスゴミや感想文サイトの人々は、見識のなさを恥じないことで知名度を上げようとしているとしか思えないときがある。
 あんまり言いたくないけどさ、クラスター爆弾を建物に落としたと書かれているのを見て、クラスター爆弾は建物に効果がないなどと言っているバカがいた。心が痛む。じゃあおまえクラスター爆弾の爆撃うけてみろよと。鉄筋鉄骨の建物構造は壊れないかもしれないが、建物はガラスの部分もあるし、耐力壁でない部分もあれば、内装に爆風が進入することで価値を失う建物もある。それだけじゃなくて、爆弾というものがどういうものか、わかってるの? と疑問に思う。ゲームの大戦略ぐらいしか知識ないんじゃないかとか。250kg爆弾の威力、ということについて印度総督が一文を書いていたが、それを見るだけで今の平和な日本では、兵器というものが実はどれほど恐ろしい殺傷力を持つか、想像力がなければどんどんわからなくなっていくのだなと思わされる。20ミリ機銃じゃブラックホークのローターに穴はあかないかも知れないけど、人体の近くに着弾すれば大けがだよ。
 そういうクラスター爆弾についてゲーム的知識しかない人が軍事サイトと称してサイトをやっているのを見ると、まあやるのは自由だけどさと思うけれど、同時に見ているこっちが恥ずかしくなってくる。
 まあ、平和でめでたいことである。こういう想像力とか知識がそういう恥知らずの大声にかき消されていくうちに、馬鹿な戦争になるんだろうな。
 ちなみに私も他人の本をけなしたくないけど、この前とあるコミックスを買って、ものすごくしょんぼりした。今はJなんとかというイカロス出版のマニア雑誌があるから情報は豊富だけど、でもあれの情報ってマニア的な数字と項目であって、実際に操縦したり、実験した人々の話は極端に少ない。それを参項にしたとしか思えないコミックスは、当然ぜんぜん深みがない。
 そういうシチュエーションになったとき何が起きるか、というと、まあ作者もスタッフもみなおびえているのだろう。なんの新味もなく、なんの創造性もない。たんなるスクラップブックの呈だった。それでいて何かを書こうという闘志もない。
 それが今の日本の本というものを巡る実情なのだろう。
 もちろんそれと戦っているひとはいる。成功している人もいる。
 だが、本当にそういう価値を見いだせない人も多い。ニャン通とかワン報堂のプロモーションや、誰が何をどういうか分からない巨大掲示板に踊れといわれなければ怖くて感想文も書けないような人々も多い。
 久々に毒をはいたが、私は私で、私の書きたいと思ったモノを書く。そのなかでも不満があるからこそ、さらに書きたいものを追求している。それが大事であるが、ただ、同じ志を持っていた友人がそんなばかげた感想文野郎にばかげたことを書かれていたので、頭が痛くなったので書いた。
 まあ、どうでもいいことなんだけど、恥知らずって、どんどん増えているよなあ。とくに匿名という幻想が拍車をかけている。まあ、匿名という恥知らずを許容される立場でないと感想文も書けないチキンだからそうなのだろうけど、じゃまでうざい。知ったことか。