久々の宝塚宙組観劇

 まず電車で日比谷に行き、帝国ホテルタワーのパールデルマエストロで食事。
 電車は小田急線急行で相模大野、そこから快速急行代々木上原、そして千代田線で日比谷。台風の影響があったのか、列車は空いていた。
 食事も美味しかった。イタリアンで、オレンジピールの入ったオリーブオイルでパンを食べたり、オードブルの細工に感心したり、バルサミコのソースのかかった肉料理、そしてデザート。
 バルサミコ酢の使い方は難しいのだが、やっぱりプロはきっちり使うよなあ。絶品であった。


 そして宝塚観劇。久々の宝塚である。


 まず前半の劇、バレンシアの熱い花。
 復讐の劇なんだけど、うーん。
 結局、説明過多の描写不足なのかな。
 説明は要らない、描写がいるんだとは故・山田正弘先生の言葉であったが、まさにそう思う。
 必然性が不足している。
 そして最後のせりふも不足。あれでは途中で犠牲になったキャラが浮かばれない。
 どうにも古さを感じてしまう。物足りなさが残った。
 全体的にモーメント、動機が不足している。
 悪役がどれほど悪いかの描写がほとんどないので、カタルシスもやや不足。
 やっぱり設計が古すぎるのだろうか。
 でも、役者は熱演していた。スケールの大きい演技も出来ていたし、宙組でいつも唯一不満に思ってきた殺陣に迫力があった。
 演技と言うより、脚本潤色の細かいところの積み重ねが不足している感じだった。
 残念である。でも宝塚としては水準よりやや上かも。
 ちなみにさいとうちほがこの劇とタイアップを描いている。確かにウテナっぽいところがあったな。
 娘トップはあきらかに姫宮アンシーみたいだったし。
 宝塚の伝統色なのかもなあ。うーん。
 不足する部分は予習しておけばいいというのもあるんだけどね。バレンシア地方とか、スペインの歴史とか。
 私はそこら辺詳しかったので、ある程度満足したのだが、一緒に見ていた超宝塚通の秋田オバサンは不満だったようだ。


 ところがしかし!
 レビュー・宙(コスモ)・ファンタジスタ
 絶佳絶品。
 超絶。
 藤井大介がグロリアスで見せた奇跡が、あれはあのときだけかと覚悟していたのに、じつはこれからも続くものだったと思わされた。
 じつにすばらしい。
 姿月時代、和央時代ときて、実は私は宙組の将来を心配していた。
 いつも宝塚に誘ってくれる実家母も宝塚の話題を余りやらなくなったので、ああ特別編成だった宝塚宙組も普通の組、ヅカになっちゃったのかなと思っていた。
 姿月も、和央も、湖月も、そしてハナフサもいないのだ。
 しかし、である。
 演出家がちゃんと役者を生かす演出をすれば、十分ファンタジックで、感動的で、きらびやかで夢のあるレビューは可能なのだった。
 それどころか、大仕掛けに圧倒されるすさまじさはあの姿月退団のときのグロリアスを越えている。
 実は、これまでのレビューではどうしてもロケットのシーンと大階段が出てくるシーンで一呼吸あいてしまった。
 私はそういうもんだと思っていたが、しかし、このレビューでは、ロケットはダンスの中でシームレスにロケットをやるキャストが入ってきて展開。
 大階段は太陽の表現の幕にとけこませて登場させ、幕をすこしずつ除いていって大階段につなぐ。
 レビューのシナリオ性はこれまでエリザベート以来見てきた私だったが、今回が一番の気がした。
 ゲーム好きの私としてはグラディウスを思い出した。星巡りというか、ファンタジスタとして、大和のスーパースターらしい活き方と、ほかのみなの引き立て役にとどまらない熱演が、その上で調和している。
 音楽も所々矩形波サウンドのような展開があったりするし、それだけでなく途中ホルストの『惑星』のジュピターを歌うのだが、平原綾香のものより歌詞がすばらしい。
 宝塚はこういう文芸の仕事が活きることがある。
 オープニングで劇場全体に宇宙を投影し、大道具もこれまでのどの大道具よりも派手で、破天荒。
 一気に引き込まれてあとはひたすら感動。
 劇とレビューの構成だったが、劇は半分でよくて、レビューを二幕見たかったぐらい。


 宙組新時代を感じさせた。
 大和悠河もしっかりとトップの風格で全体を統率しているし、女性コーラスもあいかわらず美しい。かつて若手だと思った人々も実力を付けてきた。
 今後も楽しみである。
 
 
 帰りは、小田急では台風の影響で371系が御殿場線を通れず、結果RSEが下りあさぎりを町田止まりで運転した。愛称表示LEDは臨時の表示。
 で、続行するEXEのホームウェイ1号に乗ったのだが、町田駅では1号線に臨時列車だったRSEが入っていて、2号線にホームウェイ1号のEXE、そして3号線に上りLSEが入線。特急3並びが実現した。


 2号線に入ったEXE車内から撮影。

 鉄も重症になってくると台風の時にあえて鉄道に乗るようになるというが、こういうのが目的のようだ。