休日・JYL10周年イブ

 昨日深夜、客先のホームページを何とか作って終業。
 勤務もかなりきつかった。勤務中ものすごいメマイだったけど、座り仕事だったので助かる。
 仕事がますます増える。でも小説は書くつもり。負けるもんか。
 
 
 今日明日と休日。
 そして、明日はJYL米田淳一未来科学研究所創立記念日。1997年9月23日創立なのです。
 今年の11月5日には商業出版『プリンセス・プラスティック』講談社版発売10周年の記念を迎えます。
 ついに10年目。その前史であるプリンセス・プラスティックのテーマに気づいて、書き始めてからはもう20年近いけれど、まあ世の中的にはこれで10年かなと。
 10年前は文壇とかありました。そして『セキュリタリアン』という防衛庁(当時)の広報誌に原稿も書きました。小牧の空自の学校と、防衛医科大。なつかしいなあ。防衛医科大の校長先生は『医者はいつ何時病気になった人がいても対応できるように』というポリシーで医官を育てていた。
 実は医者は飛行機での『お客様の中にお医者様は』というようなシチュエーションはだいたいいやがる。装備も施設もない状況で、できることもかぎられるから。
 でも、医官はそうであってはならないそうです。さすが。
 ちなみに書きたかった日本で一番医師国家試験合格率が高い学校というのは没になりました。実は医科大が長年1位だったんですが、1年80人程度では1人落ちるとごそっと順位が落ちるので、気にしないそうです。ちなみに防衛医科大はお給料をもらいながら医者になる勉強が出来ます。しかし、医者になれなかったらその養成費、1千万円ほどを『国庫に返納していただきます』だそうです。
 小牧の学校は要撃管制、つまり迎撃機を侵入機にスクランブルさせて誘導する係と、航空基地で飛行機を安全に誘導する航空管制、それと新装備の受領から自衛隊での実用化のためにアメリカへ研修に行くための語学の学校です。
 迎撃管制はぶつける管制、航空管制は出来るだけ離す管制と正確が違うとか、90年代当時のバッジシステムの訓練なども見ました。
 みんな20代でもう教官だもん。すごいよ。
 ちなみに空自で一番つらいペナルティーは、『なにもさせてもらえない』だそうです。体罰よりつらいみたいな。仲間が先輩教官に教えてもらっているのに、自分はお客さん。確かにつらいよなあ。
 体罰については聞かなかったけど、まあ命のかかる分野では体罰も致し方ないでしょう。せいぜい耳をぎゅっとやったり、鼻をぎゅっとやったり。うちの父のパイロットやTACCOを育てる課程ではみんなヘルメットかぶっているのに教官が『なにやってるんだ!』と激怒してパンチしたらそれがヘルメットで指骨折みたいなこともあったそうです。
 管制官パイロットは刻々と減る燃料で空を飛んでいるのに比べて落ち着けるんだからしっかりやれ! と言われながらも訓練ではアクシデントにアクシデントをどんどん重ねていってパニックになるまで追い込むとか。
 そういや90年代の小牧の航空管制のシミュレーターにははやくもFSX、現F−2やAWACS(E-767)がいたし、見学者用にブルーインパルスが演技をしてくれるモードがあったり。電車でGO!では踏切事故があるのでこのシュミレーターにも事故のモードはあるんですかと聞いたら『ありません!』と否定されたけど、実際にはたぶんあるだろうな。地上誘導路の誘導の時には絶対に事故が起きているときの誘導の訓練が必要だもの。
 電車でGO!では踏切事故モードが出始めの第1弾にはあったけどそれだけ。でも鉄道会社のシミュレーターには浸水事故とか架線事故、さらには人身事故のモードまであるそうです。


 まあ、そんな雑談をしながら10周年。
 いちおう開所記念日オープンハウス2007など、いろいろやります。
 よろしく。