ボロボロ。

 昨日はチェッコリにあまりにもエネルギーがあまりにも必要で、低反発マットはやばいんじゃないかと思った(挨拶)。
 いやそんなことじゃなくて、昨日は朝の4時まで文章をいじってしまった。
 その反動で寝てばっかり。
 でも引っ越し以来、普通に過ごせる久しぶりの日であった。

 深夜、先月に近所のコンビニでボジョレーを予約していたことを思い出す。
 買いに行く。
 旧居の近くのコンビニだが、新居との間は1200メートルなので、ちょっと行くとすぐにつく。
 行くと、ボジョレコーナーの撤去中だった。
 客は4人だけ。12:00だけどモノスゴク寂しい雰囲気。
 買いました。ソムリエナイフが付いてきました。
 家に帰って開ける。
 ジョルジュ・デュブッフ・ボジョレー・ヌーヴォー2004。
 ラベルがオモチャっぽいとも言えるし、可愛いとも言えるし。
 開け始めると、ちゃんとコルク栓だったので早速ソムリエナイフで栓を抜く。
 実父が昔コルク栓相手に苦労していたなあと思いながらも、上手く抜けました。
 0:30ごろ、早速飲んでみる。
 ボジョレを解禁日に飲んだのは31才の人生初めてではないだろうか。
 味はどう表現したらいいのか詳しくは分からないけど、それほど若くもなく、かといって苦くもなく、こういうものかなと思う。
 普段飲む爆安ワインとは当然違う味で、考えてみれば来月まで待てば船便の安いボジョレもあるのだが、まあ今回は引っ越しの荷解きもほぼ済んだのでそのお祝いでグビグビと飲む。
 まあ、お祭りと思って飲むのが吉という人も多いし、マツリとする。
 コクがあっていい味だと思うのだが。

 三田誠さんがご結婚・転居完了とのこと。ご苦労様であります。
 小説はすべてジャンルわけせず、その人小説と思って読むのが正解だと思っておりますので、三田さんの小説も三田さんらしいなあと思って拝読してます。
 一時期、ネタを深追いすることに燃えていた私ですが、別に深追いしなくてもいいんだなと思いました。
 私についてキャラを動かせという指摘はありますが、まあそれはその人の感じようなんだから、動かすことで表現する人と、内心に自由に入り込む方法がそれぞれあって、優劣は着かないと思うのだが、どうよ。
 つか、平泳ぎで天下取ったると思っている人に『クロールのほうが速いジャン! 平泳ぎなんてダッセーの!』って言う人って、正気かと思う。
 いや、平泳ぎの選手だってクロールも泳げるとは思う。
 でも、クロールにはクロール専門の人がいる。
 それぞれ自分の有利な泳ぎで泳ぐのが世の中だと思うのだが。

 ラノベの三田さんも、少し不思議小説の瀬名秀明さんも、銃器小説の黒崎視音さんも、それぞれにそれぞれの味を持っている。それが大事であって、それを尺度で測るのは評者の怠惰ではないか。
 まあ、なんかまたやる人がいるらしいが(あの人だ)、それも商売、文句は言うまいと思いつつも、評価をするのは読者であって、書き手は自分で好きなことを形にする、それこそ創造であって、その好きなものの中に未消化のものがあるかも知れないけど、消化しきったと判断する頃にはもう時を過ぎていることもあるわけで、貶しと言うのは物語を、世界を創造する現場を知らない人々の幼稚な行いである気がする。
 自分で世界を作ってみようよ。
 好きな小説、好きなアニメでも良い。マイベストをiTuneでCDに焼くように、上手く繋げてみようよ。
 それだって、商売にすることを考えなければ趣味としては十分成立するものだし、むしろ記号論批評とはそれではないのか。
 そう考えると、たとえばウチの父母はDIY(do it yourself)で始めた家具作り・工芸作りがもう趣味の段階を越えて事業になってしまったけれど、でもその軌跡を考えてみると最初から事業にしようとかプロデュースしてもらおうとか考えてないし、今もそうではないと思う。
 好きなことを好きなように続けて、それが他の人の届かないものになり、そして価値を生み出す。
 それでいいんじゃないのかなあ。
 で、それを食い物にするのはどうかなあと思う。

 夢を扱う仕事って、厳しいなあ。