くだらないにも程がある
チェッコリは麻薬よりも危険だそうです。
麻薬よりも有害? インターネットポルノ
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/20041124201.html
アホかと。こいつら正気か? そんなん自己責任と親の教育だろ。
まあ、ヌーディストビーチ学を研究しないといけないほど向こうは学者余りと聞いているけど。
でもキリスト教もイスラム教も、原理主義者たちはもう理屈とかではなく、どこか機能障害的なものがあるのではないか。
正直な話、病的な思考、病的な認識というのは存在して、それはいかにノーマライゼーションしようとしても無理なのだ。
私は思考は脳を経由すると思っている。脳そのものに思考が属したり、脳が計算した結果が意識だとは思わない。
もっと深いところで全ての生命は繋がっていると思う。
だからこそ、その出口である脳が歪んでいれば、生命の形も、思考の様態も歪んでしまう。
私はそれを校正しようと言う意味もあわせて、自己満足主体であるこのブログとウェブ日記をやってきたけど、まあ実情は私よりももっと歪んだ人が過剰に反応するだけで、ため息を吐きたくなることも多い。
でも、その歪みを歪みと言えない限り、真の意味の機会均等は有り得ない。
車いすの人に100メートル走の競技に這ってでも走れと言うようなもので、病者がかえって不幸になる。
車いすの人は車いすの競技に出るべきだし、その上でこの時代なのだから留保する分と交流する分をわきまえて、その人その人に応じるのが誠意ある態度だろう。
一律に障害と思考は関係ないと言い切ってしまうのは、実は短絡である。
関係ある部分と、ない部分があって、それを正しく理解することが正解であって、一律に線引きするのはマスコミの大好きなマッチポンプを作る種になるだけだ。
で、そういうものになぜ私が反応するかというと、チェッコリは世界を救うと思っているからである。
正常な情欲の処理は、正しい方向に向ければ、さまざまな対立に油を注いでいる感情のエネルギーを弱めてくれると思う。
中東にせよ日中にせよ、確かに問題はあるし、それについて主張せねばならないことがある。
でも、それは時間のかかることであって、田原総一郎のように焦らせる人間のいる場ではろくなことにならない。
だからこそ、PCから目を離し、TVを消してちょっと場を落ち着けてチェッコリするのが良いと思う。
虚しい気持ちになるという人もいるけど、それは想像力が貧困なのだ。
生きて、ここまで受け継いだ命のリレーをつぎに繋げようと身体は一生懸命になってくれている。
自分自身は情けないかも知れないけれど、自分の身体は自分だけのものではない。
預かりものなのだ。
その身体に、今日も自分の命が繋がっている。
男性の欲情は繊細で、ちょっとしたことで向きが変わってしまう。
でも、今日もそれを自分でコントロールできた。
そう思えば、チェッコリとは、妻がいる身分でも、妻との営みとは別に大事なものなのである。
特に私の場合は生きる全てが研究対象なので、チェッコリも研究の題材である。
みうらじゅんさんのように童貞時代から続いているチェッコリ用のえろスクラップは20冊目に突入したし、ほとんどのデッサンはチェッコリのために描く女性の姿のコントロールから学んだ。
全てを破壊するような衝動ではなく、小さなチェッコリですこしずつ穏やかに生きる方がずっと良いと思う。
なんて理屈を付けても、まあすけべえな私のことで、『ホワイト・ホリゾント』を今日も書いてます。
淫らしい〜。
今日は旧居の片づけをしました。
レギュレーションで引っ越し通知時から1カ月は管理せねばならないので、久々にアパートへ。
何もない狭いアパートを掃除していて、ああここでユキさんとの独立生活が始まり、いくつもの本を書いたのだなあと万感胸に迫る。
結果、今のマンションに転居し、今の豊かな生活に繋がった。
結局実家のヨネ母が物件探しを手伝ってくれたし、他にもいろいろヨネ母ヨネ父に学んだり助けてもらったりしたことはあった。
現実にマンション購入資金は全て私の稼ぎだったのだが、とはいえまだ夢の中にいるようで、もうしばらく気持ちが落ち着くには時間が掛かりそうである。
一発で稼いだお金、うかうかするとあれやこれやで無くなってしまいそうなので買い物としたのだけど、こうやってそのマンションの南の窓に向いた机で書き物をしていると、自分の20代はほとんど生きていなかったんじゃないかとすら思う。
ここ数年で、学ぶことが多くて、その中で世の中を少し見たし、人生も人間も見た。
自分がいかに未熟かも思い知らされた。
だからこそ、その童貞時代を総括する意味で『ホワイト・ホリゾント』である。
語られることの無かったことについて語っちゃってるので、やっていて楽しい。
でもものすごい『プ』ものになるかも知れないけれど。
『ジパング』。わからん。どうして超音速のミサイルをレシプロ機が避けることができるのかわからん。あのミサイルの性能から言って、そういう段階の問題の勝負ではないと思うのだが。読めば読むほど訳が分からなくなる。これも作者の体力が続く限り続くのかな。
私もそういう身分になれれば楽だけど、まあ初版作家ですから。2刷りは2回しかありません。
明日は三の酉。鷲神社例祭に行きます。