深く考えない人たち

 安倍なつみという方の盗作疑惑について。
 いや、私は安倍なつみという人を知らなかったし(つんくファミリーは基本的に嫌い。あんなの歌じゃない)、ワイドショーで見ただけなんだけど、あれをいい気になって叩いている人って、物事を全く深く考えないんだなと思う。

 文芸に限らず、アートは全てゼロから何かを生むものではない。
 何か他人の優れているものをみて、咀嚼し、表現とするものなので、基礎知識として他人の作品を学ばないといけない。
 種のないところに草は生えないのだ。
 その種だって、あればいいというものではない。
 双葉にして枝を伸ばし葉を茂らせ花を咲かせ実を作るのは大変なのだ。
 内心にはイメージがあるけれど、それは長い時間をかけて子供の頃から見聞きしたものから長い間かけて作られるモノであることは自明であるし、かといってそのイメージはぼんやりとあっても、ごく少数の天才をのぞいては、他者の創作物を見ながら表現を模索するところで、他人の事物に触れ、それを咀嚼しながら手探りせねばならない。
 その咀嚼の程度に線引きなんかできないし、線引きをしたらそれこそ戦前と同じ表現の不自由な時代になるし、その内心の作用にまで踏み入られて審判を受けさせるなんて、人間のやることではない。
 このアートはゼロから発生するかの問題は現代芸術の議論としては既に通過した話なんで、まあ私が今更言わなくても良いと思う。
 写真に色を付けただけで芸術と言っている人もいるし、それが今美術館に飾られているけど、それを今更蒸し返すと、アートの評論と制作をやっている人たちからはとっくに通過している問題なので、『ハァ?』と呆れられ恥をかくだけだ。
 私も事実、盗作だのなんだので騒がれたけど、著作権について、著作権表現の自由について深く考えることができるようになったし、私は結局謝らなかった。
 だれかが作品を出版物で公表したとき、その公表された作品をスキャンしてテキストに起こし、サーバにアップロードしてタイムスタンプを昔に書き換えて、そのページを使って『盗作だ!』という告発をするという虚偽告発という犯罪だってあり得る時代になってしまっているのが現状なのだ。
 私は内心に土足で踏み入られたことはイヤだったが、踏み入っていたのかと反省もした。
 でも、ここで私一人の判断でそういう先例、著作権の先発優先なんて例を作ったら、大変なことになる。
 それでモノを考えられない人たちは内容証明だの何だのと騒いだけど、私は謝らなかった。
 ぶっちゃけ、当のパクられたと言いがかりをつけてきた例の人たちにそそのかされた相手も、その文章を『頭の中で咀嚼した』と言いつつも、結局は他人の文章を組み合わせていじったわけで、そうなるとそのままパクれば著作権の侵害だけど、パクリにならないように咀嚼しても著作同一権の侵害と言うことだってできる事になぜ気付かないのかと思った。
 結局その伝聞をもとにしかかけない銃器の話については、その銃器を触った本人以外は誰も何も書けないことになるのだ。
■追補■
 特に著作権法では『事実』の記述には保護外とする事になっている。データベースなどは個別の記述には著作権は存在しないが、データベースとして編集するところに著作権が生じると解釈される。
■追補終わり■
 そうなると、SFのネタなんかは本物の事物がない架空のものを書いて、それをリレーして描き続けているのだから、全滅である。
 私一人の問題ではない。
 全ての人間の『表現の自由』に関わる問題なのだ。

 まあ、ほとんどの編集さんはそれを知っているので冷静な対応をした。
 はた迷惑なアンチファンの活動があってご迷惑をかけた編集さんもいたが、話自身は続いている。
 一人、その判断が出来なかった人もいるけど、元々意見が対立しながら無理に仕事をしていたので、残念ではあるけれど、仕方がない。

 そこで、あのなっち事件は悪い先例を作ってしまったと思う。
 ほとぼりが冷めるまで謝っておけば何とかなるだろう、というなっち側の関係者の、言葉に命をかけている者としての自覚の無さ、無責任に、むしろ私は悲しみを覚える。
 所詮アイドル屋なんてそんなもんなんだろうな。がっかり。

 あんたたち、自分の尻尾を食べてるのに何で気付かないの、と。
 アートにおける引用とインスパイアの問題をこうやって盗作問題という誰にでもできる言いがかりにすることで、自分たちの表現の自由、発言の自由を狭めていることになぜあの叩きの連中はなぜ気付かないのか。
 もしなっちのことで、本当になっちがわるいとなったら、『2げと』も『オマエモナー』も誰かに著作権が発生してしまうし、その処理を確定しない間は誰もそれを使えない。
 キタ━(゜∀゜)━!!もそうなる。
 『2典』だって出版出来なくなる。
 『電車男』の本だって、掲示板に集まった一人一人に著作権が発生しているのだから、誰かがイヤだと言えば、それをロクに検討するまえに差し止め訴訟が起きて『電車男』は葬られる。
 良く話題になる『ネットランナー』誌なんか、あっというまに廃刊であるし、ウェブ掲示板について記述する雑誌も単行本も、全て隔靴掻痒の著しいものだけしか許されないし、それだって権利の解釈を究極まで行けば、日本語や英語と言った言語自体についても最終的に権利関係が生じてしまうのではないか。
 なぜ彼らは自分の尻尾を自分で食べていることに気が付かないのだろう。
 表現の自由とは、そういうものだし、著作権は知的財産であっても特許権とは違う。
 まあ、深くモノを考えないから気楽に騒いでいるんだろうけど。
 著作権著作権法だけど、その上位の『基本的人権』として表現の自由があるという意味をもういちど考え直したらいかがでしょう。
 ちなみに、静大の赤尾先生が『正当な引用範囲を広げる戦いを!』でJASRAQを批判しているけど、アレは正しいと思う。
 歌詞を引用することを制限することで、歌詞についての批評が著しく貧困になっている現実がある。
 まあ、モノを考えない人たちは平気でウェブに一般に売られている曲の歌詞を載せているけど、アレって全部JASRAQに通報したら削除対象である。
 今世の中にあるblogのほとんども、厳格に著作権の関係を追及すれば、ほとんど生き残れないと思う。
 自分の尻尾を自分で食べていることに気付かない、本当に馬鹿な人たちである。

 PSPまで買ってしまいました。リッジレーサーズは昨日のうちに買い、今日本体を入手。
 メモリースティックDUOも購入。万全の体制。
 で、遊んでみると、やっぱり手に持っているというのがカセだなあと思う。
 遊び続けると手にはやや重たい。まあ、ファーストインプレなんで、そのうち慣れると思うけど。
 アナログパッドも、ずらして入力するのでちょっと感覚がまだ慣れない。
 UMD射出の問題は発生しませんでした。というか、ねじって使う方がどうかしている気が。
 あまりにも繊細な作りなので、怖くてねじれないよ。ホントの話。
 コタツの天板の所に本体を預けてプレイするのが一番ラク
 で、ゲームはまだPSPのアナログパッドに慣れていないせいか、こわごわだけど、でも質が高い。
 満足。

 『零艇』の続きを書いている。『零艇』はけっこう売れてくれたらしく、さらにやっていけるとの感触を得て、企画書作成。
 続きと言ってもあれは異世界を作って、フェイドイン・フェイドアウトさせながら歴史を考える話だったので、続きと言うよりは大枠を共有しながらも独立した戦いである。
 滅多に題材にされない戦いに、ちょっと新しい要素を入れてみる。まあ、交渉で入れるかどうか考える。
 1通企画書を書いて、発送。
 今日は勢いがあるのでもう一つ企画書を考える。
 結果、作った企画書は3通。どれもイイカンジである。
 
 PSP『リッジレーサーズ』にはプレイ時間をあらかじめ決めてプレイするモードがある。
 NDS『君のためなら死ねる』も、ミニゲームの連続。
 暇つぶしゲーとしての需要を考えているんだなあ。

 コミケ(冬)のガイドブックを見ながら準備。とは言っても一般参加ですが。普段お世話になっているサークルにお礼ができればいいなあ。そんな余裕はないかな。
 初めてサークル巡りの順路図を作る。
 ガイドブックを見ると、『ヨロイ率』ナドというヤバげな会話が飛び交うヨネタ夫婦である。

 my shade2で作ったデータを再利用しようとDELLにmy shade2をインストール。
 インストールしたmyShadeは98年のもの。実に6年を経過。
 今、shadeは7.5まで進んでいるんだなあ。
 レンダリングとかPen(1)133でやっていたのをPen4でやると一瞬で終わる。
 3Dのメカって格好良いんだよなあ。
 まあ、それより前に元の絵を何とかしなきゃ。

 どうにも自分の身体が臭いと思ったら、鼻が風邪で膿んでいるのだった。ユキさんに指摘される。いやだなあ。