粉砕痕の謎
朝起きて雑誌を読んで、昼頃1時間の散歩に出る。
しばらくグログロ。いろいろと懸案が溜まっているんだけど、反応待ちもあって煮詰まる。
で、カレカノのオープニングとストラトス4のオープニングの数小節が似ている、と思ったらカレカノが思い出せなくなったので、ユキさんコレクションから発掘して確認。
よく聞いたら、コードが違ってた。道理で思い出せないわけだ。うろ覚えだからこう言うときに困る。
つか、カレカノ原作のテイストが今、モノスゴク肌にしっくり来てびっくり。
実は私には少女漫画属性があったんだなあ。
特に『パパ電』のあのシーンなんか、その筋の人にとってはたまらないじゃないですか。
やばいなあ。
しかしまだ鉄道列車の強度についての話がある。
いや、昔から思っているんだけど、安全確保となると極論を錦の御旗にして現実的でない話をする声ばっかり大きい連中がいるんだよなあ。
誤出発さえ停められれば大丈夫なローカル線と都心の2分間隔で電車の走る区間をただ並べてATS−PとATC区間が少なすぎると言ったり。
側面衝突だって、鉄道の側面衝突なんてのは車が上から降ってくるトンネルの破片に耐えられるように屋根を強化するとか、飛行機が胴体着陸ではなくひっくり返って着陸するために機体を強化するような薄い意味ぐらいしかないと思うんだが。
今回の事故だって、結局はオーバースピードで突っ込んで1両目は完全にクラッシュ、次の車輌が横につぶれたと言うけど、鉄道ではぶつけないことが大事だし、ぶつかっちゃうと戦車みたいに強化してもあの速度では大差ないだろう。それが工学というものだ。
現実的な安全確保の手だてを考える中で、JR西は利益を安全面の投資に回すのが遅れていたのだろう。
でも問題は初めに戻るが、『粉砕痕』にずいぶん西日本がこだわっていたのが企業文化としての責任逃れのベクトルがあるんじゃないかという気がする。
置き石だったら石を置いた奴に責任を全部かぶせることができる。あの粉砕痕へのコダワリぶりからすると、病巣の深さに目眩がする。
オーバーラン距離の隠蔽といい、人はミスをするけれど、最大に大事なことはミスをしないことではなく、ミスをしてもやり直せることを残すことじゃないだろうか。
ミスはある。どうやっても。でもミスをしちゃいけないと思えば思うほど、余計ミスをする。そのことがどっか吹っ飛んじゃっている会社に見えてくる。それじゃだめだろ。
どこまで本当か分からないけど、処分の中にリンチめいたものがあったなどとも聞く。
典型的な駄目な会社である。
起きたことは全く取り返しがつかない。
それでも鉄道として機能しなければ多くの人が困る。
そして、組織を本当に変えるのは、組織のなかの人々だということを私は信じている。
遺族も、怪我をなさった方々も辛い。
でも、今JR西日本で、責任を感じながらも今日も仕事をする人々、とくに現業部門も苦しいだろう。
逃れることができない責任に耐える彼らに対して、経営陣に責任を果たして欲しいと思う。
マスコミも『分かりやすい報道』という言葉が現れた頃から、イケニエの羊を求めるだけの存在になったし、いつの間にか、今日も私はビックリしたけれど、力、破壊、暴力がどういうものか、分からない人々が増えている。
なんとかそれを分かって欲しいと思う瞬間があるけれど、もうこの社会は想像力を失いつつあるようだ。
想像力で仕事をする者として、力の限りやろうとおもう。
ぶっちゃけ、ゲーム脳以前に、『初めて聞く音楽は椎名林檎、初めて読んだ小説はバトルロワイヤル、初めて見たアニメはエヴァンゲリオン』の子がいたとしたら、と思うと、それだけでゾッとする。いや、それぞれ意味のあるものだし、成立した作品だけど、初めて出会うメディアにしては不適な気がする。やっぱりああいうものは他の基本的な素養ができてから触れる刺激物だと思うんだが、でもなんだかあそこらへんからいろいろと崩壊してきた気がする。
もちろん、それをどうこうできるほど私には力がない。
ちょっと今日、それで煮詰まった。
勝手に敵を作って勝手に煮詰まったんだけど、でもなあ。
もうちょっと、煮詰まりは続きそうです。
『エースアクティブ3』もちょっと遅れます。すいません。最後の詰めをやってます。
煮詰まりは煮詰まりなんですけど、まあ、自分にできることをやるしかないなあと。
自我が成立するまで、『リアルなもの』って良くない気がする予感。この問題もうちょっと考えてみます。