恩師お見舞い

 東京の恩師に会いに行く。
 思いっきり活を入れられる。
 目から鱗が落ちました。いや、落ちすぎぐらい。
 そうか、そういうことだったのか。すげえ。すげえよ。
 思い詰めていたけれど、考えればアレにはあの人とあの人だけで、あの人の事は何にも無いんだな。
 でも、恩師の懐の深さと積んだ経験の高さにはただただ絶句。戦い続けてきたんだなあ。
 聞いていて、そうやって戦うことが人のためにもなることが分かった。
 今は安売りされているけれど、でもそれはそんな空気が連中によって今無理矢理作られているだけなんだな。
 で、話通り調べてみると、うひゃあ。
 してはならないことも伺う。そうだな。たしかにそうだ。間違えてたなあ。いかんいかん。

 締切って、守らなくちゃいけないけれど、でも守りすぎるのも良くないらしい。なんだか大人になってないな、自分のそういうところ。
 文章の業界はマンガと違って気合一閃で1日で100枚ぐらい書いてしまってそれがそのまま商品になってしまいかねないところもあるけれど、逆になんにも書けない日もある。
 そういうなかでマンガはアシスタントという仕組みがあって実地で勉強できるけど、小説描きは『実地で学べるところ』なんて唱っていてもそういうところは詐欺も良いところだ。小説は究極的には一人で書く。それを検証するためのスタッフは何人かいても、究極は一人の孤独な営みなのだ。
 そうなると、自然的に自分が書いたもの出来上がっても単なるフォントの塊にしか見えず、意味が通っていないんじゃないかとか、文章じゃないんじゃないかとまでヘコむ。
 それに、買い手側も千差万別、日本が読めない人から子供の頃は日本語の本を読むのは遊びで、国語の勉強は漢文の素読をやっていましたなんて人までいて、そうなると自分の作ったものの価値が分からなくなってしまう。
 しかし、作劇の天使がいるように、推敲の天使もいる。複雑で分かりにくい話を整理してくれる天使が。
 まあ、でも一つ覚悟ができた。うるさい連中にはうるさいと言おう。私の書いたものについての責任は私にあるけど、私にうだうだアヤつけする連中には断固として戦う。
 米田SFでいく。そう発心した。がんばる。

 246号線に出れば、渋谷も上りの渋滞はあっても車はやっぱり楽だなあ。わずか片道50キロ。

 exit_if、なんだか書いても書いても進まないと苦しかったけど、モバイルギアにびっしり書き込んであった。それをケーブルで吸い上げて元の原案ファイルにうつす。
 ありゃ、結構書いてあるよ。
 今日は一度にマジックポイントが回復したので、それを使う。exit_ifにさらに苦しい道を書く。
 今はまだ恥ずかしいけれど、これを越えたとき、自分は本当に生きることになる。
 今も人間のような顔をしているけど、本当の成長のためにはそれしかない。
 精神的に厳しくなる。ますますノイローゼになっていくと思う。
 厳しいけれど、やるしかない。

 キリンカップサッカー。しかし日本代表は相変わらず半分以上が君が代を歌わないなあ。あれだけ大勢のホームのサポーターが歌っているのに。
 ホームゲームが有利というのもサポーターと一体化し、サポーターを12人目にすることではなかったのか。今日の日本代表の半分ぐらいはアウェーゲームみたいな心境じゃないのか。この時点で私は負けを覚悟した。
 途中働きながら合間合間に見ていたが、相も変わらず安いパス送りで当然カットされ、敵DFに完全に詰められているプレーヤーにしかパスが行かず、逆に相手FWのドリブルは止められない。
 結局技術が下手なのは良く分かった。
 あと50年近くの間は2流3流のサッカーを続けるだろう。でも、それでも君が代を歌い、日の丸を背負うことは、今は中途半端に『考えないようにしている』だろうけど、どんな優れた肉体でも全力、そして全力以上を発揮はできない。
 魂だけでも一流であるべきだと思うのだが。つか、こんなアヤツケしないで済むほど強いならいいんだけど、事実弱いんだもの。こうなったら魂だけでも一流にならないと。
 カズにしろラモスにしろゴン中山にしろ、ちゃんと君が代も歌ったし、日の丸に思いを寄せた。そして勝った。
 今はそれに賭けでもしないと、もう勝てないだろうと思う。
 ライオンが強いのは、ライオンにライオンの魂が入っているからである。ライオンにノミの心臓では勝てるはずがない。ましてやライオンと言えるほど世界的に誇れるレベルを持っているわけではない。気迫ですら負けていた。
 魂を入れろ。日本国民の見る眼を敵にするのではなく、味方にせよ。そのために君が代を歌わねばならない。
 ジーコには日本の魂という概念を伝えることができなかったようだ。オリンピックでメダルを取ったときのデットマール・クラマー特別コーチはサムライの心を日本選手に求めた。『サムライの末裔だろ』と叱った。詰めの甘さを『残心というだろ』と叱った。
 誰かが言わねば、この選手たちは応援の視線を『負担』にしか感じられないまま肉体の絶好機を過ごすことになるだろう。
 代表チームの指導者が厳しく言わないといけない。なんと勿体無いことを。これだけサッカーに関心が向かい、日本代表に期待しているのに、それが負担にしかなっていない。
 クール、と言われる。やたらクールクールという。でも、涼しい顔だけではダメだ。時には感情をむき出しにしてでも、身体の120%を出そうと振り絞らねばならない。相手チームは遠い異国の地、一緒に国歌を歌ってくれるサポーターもほとんどいないなか頑張ったのだ。
 今回は所詮キリンカップというかも知れない。でも、このままでは所詮ワールドカップ、所詮オリンピックと負け癖が溜まっていくと思う。
 サッカーでもスポーツ全般でも、競い合うのだから、当たり前のことを当たり前にすることだって難しい。しかし、本当に一流になる人々はそれ以上を本番で出す。それにはメンタル面の充実がなくては駄目だと思うが。
 ちなみに長野オリンピックでは一部勢力の申し入れで国旗国歌を「選手団の旗と選手団の歌」と放送していたらしい。バカかと。
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog026.html
 

 

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 ホケチエ。保険のことを書いてある。そうか、そういう勝ち負けで保険を考えると分かりやすいなあ。まあ我々は貯金するだけに止めて置くけど。定収ないし。