おしりカンタービレの平和

 なんだか、国会にしろ政治にしろ経済にしろ、なんでもわかりやすくと言う。
 でも、本当に分かりやすいものなのか、もともとそういったものって。
 元々わかりにくいものなのに、わかりやすくすると言うことは文脈を作り、比喩をするわけで、そこにどうしても作為ができてくるのでは?
 つか、民主党郵政民営化批判の紙芝居、嗚呼ここまで国民ってバカにされているんだなと思った。情けない。

 調べているとある業界の話なのだが、偶然近所にその事業所があることが判明。ちょっと取材に行こうかなと思う。しかし創業が今から200年前か。すごいなあ。
 薄々事業所らしき標示があるのは知っていたけど、面白そうだ。そのうち行ってみよう。募集しているし。しかし今ちょうどオフシーズンなんだよなあ。でもオフシーズンだから見せてくれるかな。

 で、朝早く働き、その後眠る。起きだしたのは13時。ユキさんも不調。

 google写真検索を使って資料収集。どうにも登場人物のイメージが固定できないので、いろいろな人の写真を見て検討を続ける。

 ぶっちゃけ、男はえろサイトを何気なく見ている時間ってどうしてもあると思う。なんかしらんけど、特に自慰をするわけでもないけど、えろいサイトを見ていたくなるときがある。
 でもびっくりしたよ。『おしりカンタービレ』には。
 前々からこのもとであるM'sSHOPは、こういうえちいグッズの処分代行とかの、たしかにそれってありだよなというサービスとか、我が道を行く感じでえちいグッズを次々と開発していたけど、まさかこんなイラストで宣伝するとは。
 パロディ元の『のだめカンタービレ』というマンガもインパクトの強いタイトルだなあと思っていたけれど(のだめ=野田恵(女)、カンタービレ=(音楽用語)歌うように。ピアニストのだめ(野田恵)とその隣人の指揮者志望の天才音楽家千秋(男)のラブコメ)、びっくり。
 このM'sというえろいグッズショップの紙袋の図案には『えろを充足させていけば戦争とかそういうのはいずれ忘れちゃう』みたいな英文の台詞があるんだけど(何で知っているんだ自分というツッコミはおいといて)、私としてもそう思う。
 私は断じて架空戦記がオナニーで、セックスが戦争だとは思わない。セックスはもっと優しく、嬉しいものだ。セックスと戦争を混同するなんて、パートナーがいる嬉しさを勘違いしている。つか、童貞的発想だよ。
 愛とは、ラヴとは決して争いではない。互いを尊重し、互いを慈しむ気持ちの発露である。もちろん情欲があり、時折相手を追い込むことに興奮することもあるけれど、最後はやっぱり慈しみだよ。
 むしろ、セックスというものはその境地に達することがむしろ目的なのではないか。少なくとも私は自分の一人での放出以上の喜びを感じる。
 今書いているexit_ifという作品は、そういう童貞であることと、そのあとのパートナーを持つことを俯瞰した作品を考えて筋を立て、施工している。
 かつて私は童貞であった。さんざん妄想もした。
 でも、それを経て、今、パートナーがいる幸せを思っている。

 ユキさんがちょっと不調で明日通院しようと思っているけれど、やっぱり童貞時代とでは考え方が変わったなあと思う。
 童貞時代の作品を見ると、確かに必死だった。何か思い詰めていた。
 今も思い詰めるけど、でもなにか幅が違う。別にそこでこだわらなくても、なんて思うことも多いし、人と人とを結びつけるエネルギーというものは、いわゆる負け犬だのなんだのみたいな形ではなく、もっと深い、遺伝子的アルゴリズムの作用を含めて、やっぱり自分が生まれるまで経てきた生命の歴史があるのかなと思う。
 確かに仕事は楽しい。彼女のいることも楽しい。模型をやることも楽しいし、オタクをやるのも楽しい。
 でも、その楽しさを味わせてくれるのは、ここまで命を繋いできた前の世代である父母、祖父母、さらに先祖のおかげなんだよな、と改めて思う。
 exit_ifは、そういうことも考えて書いている。ちょっと生命の歴史を考えてみようよ、と。自分は自分だけで生まれたんじゃない。前の世代、その前の世代と連綿とつながってきたドラマの結果なんだよ、と。
 ドラマは今も続く。なかなか単純な日常というのはなくて、単純なはずの日常なのに劇的なドラマをその中で書いているわけで、平常心とは行かない。
 でも、一つの結論というか、大事なことが今日は描けたと思う。
 今、充足を感じる。
 私の仕事はやっぱりこれなんだなあ。