宙組東京公演「炎にくちづけを」

 宝塚東京公演を見る。
 新宿に出ないで代々木上原から千代田線で日比谷に行くと早いのを今更ながら理解する。前は新宿までロマンスカー、そこからJRだったけど、お金も時間も掛かっていた。しかし、今の小田急は昔と全然違う。体感的に速い。経堂にも止まるけど、でも複々線化の恩恵が素晴らしい。
 食事は「AS CAFE」。ミクニシェフの店で、コースが1100円。食べてビックリ。価値感覚が崩壊していく。すかいらーくが高いのは薄々感じていたけど、サイゼリヤでも未だ高いのか。食材の活き活きとした食感を堪能。
 
 で、宝塚。
 パンフで非常に難しいストーリーと思ったけど、見てみると明快。
 でも、悲しい終わり方だった。20年後、200年後、2000年後も争い続けるだろう、という台詞が胸に突き刺さる。異教徒だから何をしてもいい、という修道院長の言葉に、ジーザスはそんな人だったのか、と問いかけながら殺されていく異教徒ジプシーの悲劇。殺されるシーンがシルエットでよく出ていて、演出が更に悲劇を盛り上げる。
 ただ子供の側にいただけで呪われるとされ、火刑にされた女ジプシー。しかし、その火刑のあとから子供の死骸が見つかる。誰の子供だったのか。悪役の伯爵の子だとされたけれど、実は20年後……。
 spanglemakerさんが『共産主義における他者』http://d.hatena.ne.jp/spanglemaker/20050910みたいなことを書いていたけど、まさにその通り。信じることがいつの間にか信じないものの存在をゼロにしてしまう。信じないものは有り得ないのだから、何をしても良いという態度。それを痛烈に批判している。
 その上、パンフレットでは脚本家が「『愛と平和』と言うけど、愛と平和は両立しない」と喝破していた。鋭い人なのだろう。
 総評として、悲しい話ではあったけど、でも大人の鑑賞にたえるように作られた、非常にメッセージ性に富んだ劇だったと思う。
 悲しいけれど、それが決して我々観客に現実を突きつけるものではない。
 逆に、ああ、きっと自分たちは生きていく上で、結局悲劇で終わるんだなという、人生における、永遠のない生命というもののはかなさを感じさせる。
 しかし途中でジプシーの歌ではいる『私たちは殺されても殺されても子供を産む』という強さが、結局我々の世代の問題は、次の世代で解決することを願いながらも、2000年掛かるのかという悲しみとつながっていて、打ちひしがれながらも、決して後味の悪いものではない。
 むしろ私が数少なく見てきた宙組公演ではベスト3に入る出来だと思う。とくに悲劇を宙組のコーラスがよく盛り上げていて、涙してしまう。
 とにかく歴史的な広がりが大きい。これほどにスケールが大きいとは。それでいながら決して端折ることもなく、一つ一つのシーンが丁寧に描写されている。
 コーラスと共に、皆の踊りが素晴らしい。表現とはまさにこれだなと思う。
 本来なら宝塚歌劇は1幕の劇の悲恋で泣かせ、2幕のショーで解放されて帰る、というのが基本だ。今回はそれに忠実に悲劇だった。
 ラストのシーンは美しかったなあ。宗教画のようだった。途中で出てくる大道具が変形するのもビックリしたし。女声コーラスは相変わらず良いし、なにしろ歌いっぱなしに近いけれど、その歌がどれも良い。すばらしかった。
 2幕のショーも良かった。みんな上手くなるなあ。
 大満足であった。