ともあれ脱稿。

 『エースアクティブ5』、竣工です。やっぱりフルライン作戦が私の『形』なんだわ。登場人物をやたらと減らそうとか枚数少な目の描写多めとか、ぶっちゃけできないんだわ。イヤ描写はあるんだけど、描写で人を魅了するのは難しい。それよりももとからの作品世界を大事に使うところとか、根本的な人間の描写とか、そういうところが大事なようだ。書いている実感として、枚数少な目だと不安になる。

 他にいろいろと本を読む。いろいろな人の思いが伝わってくる。
 これを書く時、どういう心境だったのか。登場人物の苦しみは、それ以上に作者が苦しんでいるから書けるものだと分かっているから、本当に苦境に立たされたキャラクターを見る時、思わず涙してしまう。
 でも、それが伝わらない時がある。読者の読解力と作者の表現力のどちらも欠けてはいけない。そこで偉大な文芸作品というのは、読者と作者の共有物と言われることがある。
 でも、そこに悲しい壁のあるままの作品がある。悲しいけれど、まあそれが人間の悲しさなんだろう。
 切ないのは、人間です。未来は切なくありません。人間が切なくしているのです。そして、作者は評者を押すのではありません。人間を押すのです(漱石)。
 そして、本当の人間は、かなしいけれど自分自身だけなんです。いろいろと疑似体験はできても、それを本当に理解するには、残念ながら、自分で苦しんだことと呼応させることができる『時』がやってこないとだめなんです。
 知識は大事です。でも、知識とは別に、感受性というものがあるんです。でも、その自分の感受性が自分で信じられなくなることもあります。
 特に小説描きをやっていると、そこで頓挫することがあります。
 こういうとき、挫折して危険な状態になるのだろうか、と思う。
 ここ数日、そういう状態が続いています。
 その状態が少し変化して、ひどい頭痛になっています。薬を飲んでも全然ダメ。
 もうすぐ寛解するかな。