骨折の話

 昔話強化週間。つか、こういう馬鹿話も、書かなきゃ誰にも伝わらないわけで。

 高校時代は節約に励んだ。なにに使ったかというと、鉄道模型である。鉄道模型趣味はついに鉄道研究部に入るほど高じ、その軍資金のために節約できるものは節約しまくった。
 昼食費もケチれたが、一番ケチれたのは交通費、バス通学のための定期代である。
 片道12キロ、これまで小学生時代に遭難し掛かるほどの自転車冒険一人旅をしたこともあって、何とか通えなくはない。
 バスでは30分、朝では1時間以上掛かるので、自転車通学を始めた。
 買った自転車は3段変速、スポークはFRPという青いプラスティックのようなものでできた軽量自転車である。
 山のほうにある実家から学校まで下り坂、帰りは延々上り坂である。
 使う道路も、国道ではない。神奈川県愛川町で取水して横須賀市に供給する水道、横須賀水道があるのだが、その水道管の上に造られた一直線の裏道を飛ばしていく。
 コツが飲み込めれば、あとはこぐだけ前へと進む自転車である。始めてからどんどん途中のルートを開拓し、ついに国道を回っていくバス通学よりも早い30分で学校に着くようになった。
 だが、受験も迫ってきて、すこしずつ頭がオーバーフローしていく時だった。
 いつものように、ちんたら走っている他の学校の冴えない後ろ姿の自転車2台をすぐに追い抜き、いつもの雑木林沿いの暗がりに入る頃だった。
 冬の陽はすぐ落ちる。そのころナムコバーニングフォースというゲームのBGMをウォークマンもどきで聞きながら疾走していた。
 あ、暗くなってきたなと思った。
 昔は自転車のライトは前輪のところにスイッチがついていて、蹴ると発電機が前輪に合わさって点灯するようになっていた。いや、蹴っちゃイケナイものだと最近まで知らず、いつも蹴っていた。
 そのスイッチを蹴った3度目だった。
 足がスポークの中に入った。
 前輪をロックし、くるりと縦方向に私は一回転したらしい。
 ものすごい前のめりになり、カゴの上に身体が乗り、そのまま後輪が持ち上がり、くるりとなって、マヌケな格好で地面に座った私の前で、自転車が宙に浮いていた。
 そして、左手に激痛を感じた。手を失ったんじゃないかというほどの痛みだった。
 クラッシュしたのだった。
 それを先ほどの冴えない自転車2台が追い抜いていく。君たち、交通事故を眼にして救護もせずに通り過ぎるのか? それとも追い抜かれたのがそんなに悔しいのか? と思う間もなく、沿道の家のオバサンが救護してくれた。
 私は痛かったけれど、とりあえず自転車を路の脇に寄せてくれと叫んでいた。フォーミュラレースの流行った頃である。コースの安全を確保しようと思ったのだ。
 痛いのは左手だった。激痛のする手は開放骨折ではなかったものの、有り得ない形状に膨らんでいた。
 オバサンの家の裏のオジサンの運転する軽自動車で、整形外科に運ばれた。
 早速レントゲンを撮ったが、なんだか折れた方向が逆らしく、その整形外科病院の看護婦さんが続々と集まってレントゲン画像を見て驚いていた。珍しい折れ方だそうである。
 で、骨折をした手を治すべく、医者が整復をやった。
 これは折れた骨の位置を直し、ギプスで固定するための処置である。
 骨と骨の位置をぐいっと変えて、元通りにする。
 それが、お医者さんはえいと一気に私の状況が飲み込めないままにやってしまった。
 モノスゴク痛かった。頭の中で火花が散った。
 骨折するのと同じぐらい痛かった。
 そのあとギプスを作り、実家の母がやってきて、そのまま帰宅したが、左手は親指以外はほとんど使えなくなった。
 次の日、学校に行ったら、ホームルームで各クラスに『受験勉強で頭が一杯で骨折した人がいる。注意するように』と先生が公表してしまっていた。笑い者決定、と思いつつも、私はそれどころではない将来のことでダルい一日を始めたのだった。
 そんななか、都合のいいことに冬だったのでギプスはそれほどの匂いにはならなかったが、でも臭かった。
 ギプスを外す日はそわそわとしていたのだが、外したところでやっぱり動かさない体は衰えるもので、筋力不足の痛みが代わりにやってきた。
 骨折した痛み、整復の痛み、ギプスの中の痛みにギプスをなおしたあとも痛い。空海の言葉に死に死に死に死んでなお暗く、生き生き生きてなお暗しというのだが、痛みの箱根駅伝のように痛さがリレーされ、痛く痛く痛く痛くてなお痛い状態だった。
 で、その骨折は2カ月ほどで無事治った。医者に若い人は回復が早いねえと言われてしまった。
 今原稿打ちに左手は活躍している。後遺障害もなく済んだのはありがたいことである。
 母と御礼に担ぎ込んでくれたオジサンとオバサンにお菓子を持っていった。
 注意一秒怪我一生と言うが、私はそのころ、パソコンのロールプレイングゲームに入れ込んでいて、現実と虚構の区別が付かなくなりかけていて、日常生活の中で怪我をするというのがなんだかひどく不思議にも思えていた。
 なんだか、ロールプレイングゲームで戦闘シーン以外なのにダメージを食らったような、そんな感じだった。バカな考えだったが、当時私はバカだったのだ。
 子供はだいたい骨折するものと私の周りでは言われていた。私は骨折したことがないのが自慢だった。というか、そんなこと自慢してどうするよなのだが、でも骨折経験が一つ身に付いた。
 普段通りに身体が動くと言うことがどれだけ便利か思い知った。
 と こ ろ が、これで懲りもせず、その10年後、もっと大きな骨折をしてしまうのである。それはまた別に書くが、本当に注意一秒怪我一生である。
 家の中であっても怪我をする時はするし、母がよく言っていたが、水深20センチの洗面器でも人間は溺れることがあるのだ。
 みなさまも気を付けましょう。
 危険は、いつも隣にある。