NHK-BS『サイボーグ革命・ロボットと人間の融合』

 筋電位の計測の所をもうちょっと見たかったな。それ以降の応用については、結局インターフェースの問題で、事実ユンボなんて呼ばれるパワーショベルなんかは建物の解体現場なんかで見るとおり、人間の思う通りに動いている。
 道具がそろいつつあるのかも知れない。楽しみである。
 そういえば今、地震の寸前予報みたいのがあるけど、あれは80年代に可能になると言われながら、だとしてどうするよ、という文脈で茶化されていた。今はガスの供給停止などさまざまに使えるとされている。私を含めて、想像力には限界があるのだなあと思う。
 私としては筋電位の測定をあきらめ、全頭型脳磁計の文脈からAMEGという携帯型脳磁計に進んだけど、そこから自律型ロボットの研究で出てきた魂の問題を考える時、魂を究極まで無限後退させたその一点を捉え、それを解釈する方向でペンダント『ジェネレーター』として考えた。

ロボットにつけるクスリ―誤解だらけのコンピュータサイエンス

ロボットにつけるクスリ―誤解だらけのコンピュータサイエンス

 これは星野力先生が何度か御著書でバイオフィードバックシステムの可能性から適応シンセとお書きになり、そこからどうするかで敢えて書かなかったところを、私は誤解上等でガンガン書いた。
 結局全ての時間と空間は26のパラメーターを持つ極小の粒子の格子状の空間として存在しているので、そのパラメーターを今のIPアドレスのように指定して読み出せば、時間自身もパラメーターに過ぎない空間なのだから、光の速度も超えちゃえるよね、ということで、その空間をNexzip座標系と私は呼んでいる。exzipはIPv6の発展形に過ぎないが、Nexzipはさらにそのはるか先、宇宙全体の全ての粒子を座標化するexzipをさらに時間方向に積み上げ、解釈するのだから話としては大ボラである。
 でも、この世界だと、魂の循環などの宗教関係の話題も物理的に解釈できるし、さらにその上でオカルトも科学のもとに組み伏せることができる。
 そういう話を書くようになって、実際の筋電位の研究とかはもっと頭のいい人がやってくれるし、私がこういう世界観を考え出した80年代にはそういう研究の話がすこしずつあり、私がやっても後塵を拝するだけだなと思った。でも、あの80年代の科学と宗教のせめぎ合いのところで、きちんとした世界を提供できなかったからオウム真理教みたいなくだらないものが代わりにできてしまった。
 科学史と宗教史を習合する、それが私のテーマだし、その中で科学と宗教に共に影響を与えた核開発の再検討として、核開発なみの大開発としたのがシファ級時空ターレット艦、時空潮汐力特等戦闘艦で、そこにあれだけのキャラクターを作った。
 もちろん、その手のぬるさとか、きめの粗さは今でも真剣に後悔しているが、しかし、あのときだからこそ出せた力もあり、結局これからあの地点をどう上回っていくか、それが私の仕事だと思っている。というか、小説としてウケるだけだったら他に上手い人は一杯いる。私も何人か、上手い!と感心する作家がいて、注目している。
 でも、私の仕事は小説を書くことではなく、小説『で』書くことなのだとこのNHKの番組で思い返した。
 小説は目的ではなく、手段だったのだ。まあ、その手段自身がヌルイから上手く行っていないというのは分かるし、その手段を磨くべく研究しているけど、でもここ数日、心穏やかでなく、手段と目的を取り違えていたことに気付いた。
 でも、結局我々の手段を目的としている人々がいる以上、そういう人々にはその手段では勝てない。全体で判断してもらえれば、我々がそれを手段として書きたいものがご理解いただけるだろうし、それが目的であって、手段の次元で比較されるのは不本意なのも当然だと思う。
 非侵襲型インターフェースの話が出てきたけど、今はfMRIのほうが有力視されているのかな。90年代からMEGの話はあったし、やっているハズなんだけど。ここら辺、私の中で入り組んでいるのがそのMEG装置自身を量子実装で作り、そのMEGによって量子実装の理論と技術が開発される。これは鶏とタマゴでどっちが先と言うことはないだろうけど、でも双方とも研究していけばいずれ導かれるだろう。
 面白い番組だった。でも毎回立花隆さん系の番組って、私が『もっと突っ込んだ話してくれよ』と思い、結果私が取材して、スゲエと思って、で書くんだけど、結果目的よりも手段に引っ張られるループがあるなと思う。