米村でんじろうで科学離れはくい止められるか

 きついことを言うけど、科学の面白さって、原理を示され、順序をおって応用が成立していくところでああ科学なんだなと理解するものであって、突然ドカンだのバンだのやられたって、今の子供は映画やゲームのCGとかのツクリモノとしか思わないんじゃないかな。

続・君について行こう 女房が宇宙を飛んだ (講談社+α文庫)

続・君について行こう 女房が宇宙を飛んだ (講談社+α文庫)

 スペースシャトルに乗った向井千秋さんが驚いたことは、宇宙に行って無重力を体験したことではなく、帰ってきて何気ない寿司屋とかのカウンターで、醤油が重力に従って皿に落ちたり、自分の部屋で本を読む時にページがぱらぱらと重力で変わることだったという。
 今の子は驚くのであれば、ゲームや映画やアニメでいくらでも驚いている。むしろ、自分の直面している現実でそういう物理が働いているところを実感するところで、物理や化学といったものの奥深さに思い至るように、とりあえず先にそういう驚くための準備としての基礎的な、『すこし退屈な科学教育』が必要なんじゃないか。そこまで深刻な事態が進んでいると私は思うし、そこで驚かせることがTV的に受けていることになっている米村でんじろうさんの実験というのは、本当はそれより先に見せておくべきモノがあるんじゃないかなと疑問に思う。いや頑張っているのはよく分かるけどさ。実験がちょっと大きすぎて、驚いている内に、深く考える余裕が無くなってしまう気がする。