牛肉BSE汚染問題の根本的な勘違い

 アメリカの高官『BSEに感染する確率より交通事故のほうが確率が多い』
 じゃあ言うけど、人間が一生のうち死ぬ『確率』は『100%』なんだ。そういう確率の話ではないのがなぜわからんのだ。
 食の安全をなんだと思っている。ふざけるのもほどほどにしてほしい。
 特に科学者とか、技術屋とか自称する人々がいろいろといい、ゼロリスク症候群だとBSE問題についてアメリカに全頭検査を要求する人々を揶揄している。
 じゃああんたたちは人体に害が無いと言われれば排泄物でも食べるのか?
 ええ、感情論で結構。
 でも、料理というもの、口にするものは、そういう確率の問題ではない。なぜかあの技術屋さんたちは『未解明の機序があってBSE経口感染は少ない』と言えちゃうんだろう。未解明の機序があるのがなぜ危険側に取れないのか。あと、0.00001%のそれが愛する人になれば、いくら確率が低くてもいやだというのがなぜわからないのか。0.0000001%だろうが、その大当たりを愛する人が引いちゃったらどうするんだろう。
 彼らは本気でだれかを愛したことがないのだろうか。
 食の安全は、積み上げられた信頼によってのみ担保される。この原則がなぜ分からない。
 この問題、次元としては、バイト先で皿を割って、弁償します、という言い訳そっくり。
 その皿がアンタの時給何百年分になるような皿だって使っているこの職場で同じことが言えるのか? 一言すみません、申し訳ありませんとなぜ言えない、と言われても仕方がない。
 そういうたるんだ根性だからまた同じことを繰り返すんじゃないか? というのと同じである。
 誠実さがまったく見られないのがこの問題の本質である。誠実さという機微の分からない連中だからこじれるのだ。
 まあ、向こうの連中は凄いからなあ。ただの一般用フォークリフトで飛行機のエンジンをつけかえて、右左まちがえてたことだってあったな。取付角もいい加減で、ボルトが締まればいいやと締めて、締める途中の加重で曲がった部品から事故発生とか。車の中がやたら臭くて、オカシイと思ったら車のドアの中に工員さんの食べた揚げ鳥の殻が入っていたり。
 確率というのなら、映画『ファイトクラブ』でやってたけど、食品工場で作られる膨大な量の鶏ガラスープのなかにおしっこしても『どうせ薄まるんだし、飲尿療法もあるんだからオッケー』みたいなことだっていえるだろうが。
 食の安全というもののデリケートさがなぜ分からない。
 原子力も確率論で安全と言っていたけど、結果その確率論の裏では誠実さも吹っ飛んで熱電対は素人にも分かるような垂直で液体ナトリウムの奔流の中に突きたっていた問題設計だったし、安全管理が徹底しているはずの事業所では手バケツで核物質を扱っていた。
 確率論を持ち出す連中は、なぜ誠実さというものの価値がなぜ吹っ飛んでいるのだろうか。数学ができると心を失うわけでもないはずなのに。