朝日新聞記者・早野透、どこまでおまえはゲスなんだ。

 17日夕刊。

「陛下に背いた開戦」によって東条が絞首刑になったのは48年12月23日。訴追されなかった天皇は軍服を脱ぎ、地方を巡幸し、生物研究の顕微鏡をのぞいて、それから40年を生きた。(人脈記・ 早野透・大室一也)

 これがこの人脈記という囲み記事で毎回反吐が出るような左巻きの醜悪さを、醜悪と自覚せず逆にそれがいいことのように書いている早野透の、朝日記者のホンネであろう。
 何が言いたいのだ? と思える抜粋で済まないが、しかしこの文脈を紙面で見るとき、早野の卑怯なホンネがよく透けて見えるのだ。
 この記事の全文を引用したいところだが、それはやめておく。著作権の問題があるかもしれないからだ。
 だが、この17日夕刊の「人脈記」は、朝日新聞がいかに信念のない印象報道、『最近の言葉から』で言葉尻を寄せ集めてその背後にホンネをのぞかせるとても卑怯な記事づくりをしている現在の状態が良く分かる記事である。
 なにがいいたいのだ? と本当に思う。
 冒頭で東条を総理にした近衛・木戸の話をしたかと思えば、学徒出陣の学生を取り上げ、それがわだつみ会の理事長を退いた、と意図不明の結語、そして東条の孫娘の話になり、そして引用した天皇は40年生きた、となり、その孫娘がいまは福祉の日々である、で終わる。
 一体何が言いたいのだ? 人脈としてもつながっていないし、論旨もまったく支離滅裂である。
 だが、40年生きた、と止めたところに皮肉を効かせようと言う卑怯な思惑が朝日をワッチし、告発する人間として良く見えるのだ。


 陛下陛下と奇怪に近いほどの身に付いていないおかしな敬語を使って皇室報道をしながら、その舌の根も乾かぬうちにろくに歴史の深みも考えずに陛下の戦争責任を問い、それでいながら陛下のお言葉と称する富田メモにすがって政敵小泉総理を論難し、その上で築地踊りと呼ばれる狂乱の売国キャンペーンが小泉総理の8月15日靖国参拝によってまったく通用しないことが判明した上、小泉に『相手の国がムカツクから相手と交渉しないと言うのなら、安保理理事国入りに反対した中国にムカツクからこっちのほうから交渉なんかしたくねえよ(意訳)』と皮肉られ、それをスルーせざるを得なくなった朝日新聞の語るに窮して漏れたホンネはこれなのだ。


 どこまでゲスなのか。恥を知れ。


 私は天皇陛下について、万世一系だからとか、そういう認識はない。万世一系なのは人類皆同じだからだ。命はすべて、父がいて母がいて、それにつらなる祖父母の祖父母と連鎖してつながってきた、神聖な存在だ。みな平等に、歴史を生き延びてきた。
 だが、私はその中でも、陛下を、天皇家をさらに特別に愛するのだ。
 なぜなら、彼らは歴史の中で、政治家であった時期はわずかで、そのほかはほとんどの歴史で、日本国統合の象徴として、人間には無理なほどの節制と努力で日本国の真心を支えてきた歴史があるのだ。
 現人神ではないものの、まさに真心、魂の象徴であったのだ。
 それを人間が行っていることに私は深い敬意を持つ。地上に残った最後の皇帝と言うが、エンペラーと英訳されても、私はあくまでも天皇家天皇陛下という言葉で尊敬している。
 そして、天皇家については類書を批判本も含めて読み、その上で日本国の真心が最後まで残るには必要と思い、拙著『エスコート・エンジェル』では2142年まで和永という元号も残し、その時代の陛下を登場させた。
 海外風に言えば力無き皇帝であるが、しかしそれでも現代の民主主義日本のなかでの天皇家の苦難は、歴史を見れば明らかであろう。先帝陛下のことをよく旅番組で『陛下のお召しになった食事』とグルメ風に言うが、大膳が作る陛下の日頃の食事は質素そのものであり、終戦時に左巻きの一統が皇居に乱入したとき、陛下のお召しになる食材を見て、なんと粗末なことと絶句したほどである。


 国民の多くが敬愛する陛下。それは先帝陛下もそうであったし、今上陛下もまた尊敬を集めている。
 それを早野は筆が滑って、歴史の重みを感じることのできない頭でホンネを出したのだ。
 こいつに歴史を語る資格はない。
 歴史とは、その時々の人々が必死になんとかよくしようと思い、それが人間としての限界、認識力や体力の限界、そして欲望や野望に負けてしまう心の限界で力尽き、その結果生じてしまった『結果』であり、それについては我々は『解釈』はできても、それを未来に『適用』できると思ったら大間違いであるし、ましてや『結果』を『評価』したり、『裁いた』りできるものではない。それはとんでもない思い上がりである。


 歴史認識ウンヌンと朝日は言うが、自国日本の歴史すら認識していない新聞が、他国と、とくにA級戦犯分祀しても靖国を問題視するという韓国、未来永劫にわたって日本を許さないと言い出した中国、そして馬賊人さらい偽札覚醒剤づくり犯罪国家・北朝鮮特定アジアと共通の歴史認識を持てという資格があるわけがない。
 歴史というモノについては、自省を行い得る理性を持った人間ならば、自分のたった数年の歴史であっても、みな後悔したり、あのとき今の認識があればと思いながらできない苦しみを味わっているはずだ。
 ましてやそれが国家という大きな流れの中で、個々人がどれほどの権力を使い得たかとなぜ想像力が働かないのか。真剣に、信念を持って生きていないとしか言いようがない。


 歴史は学べば学ぶほど、もしもを考えてもどうにもならず、かといってもしもと思わざるを得ないクヤシサを思う、むずかしいものなのだ。
 その激動の過酷な歴史を、途中に幾度の危難もありながら生き延びてきた天皇家には、万世一系という言葉を使わずとも、自然と頭が下がるのが当然であろう。それが敬意と他者の尊重を身につけた大人の態度だ。
 早野はそれを『40年生きた』となんの深みもなく書いた。
 その40年の重みが分からない早野、それをチェックできない朝日整理部。
 ゲス! 馬鹿! としか言いようがない。
 言論人である前に、人間としての品格、資格を問いたい。
 早野は築地踊りと呼ばれる朝日新聞終戦記念日付近の狂ったような誤認記事と捏造記事の主犯格であることはウェブでは知られているが、もうここまでくると語るに落ちるとしか言いようがない。
 ジャーナリスト宣言、言葉の力を信じている新聞が、この『40年生きた』だから、すごいジャーナリスト宣言である。ジャーナリストではなく、マスゴミだろ。
 
 
 ちなみに北海道で現在起きている漁船拿捕事件、佐藤守先生がこれまでの経過をご経験をもとにお書きである。ご一読されたい。
 http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20060817/1155779208
 ロシアもとんでもない国である。レポ船の話などは私もやや認識が不足していたことを告白せざるを得ない。秋田の港に入港するロシア人の話は親族の話で聞いていたが、しかしこのような歴史的経緯があったことは、薄々認識していたものの、佐藤先生の記事ではっきりした。やはりこう言うとき、まだまだ勉強せねばなと思う。
 現在の日米関係をアメリカ追従、日本はアメリカの51番目の州に堕したなどと書く馬鹿がいるが、アメリカの歴史、日本の歴史について不勉強であるし、現在の国際情勢についての不見識な発言である。
 第一、現在の6カ国協議参加国で、日本がかろうじて信頼できる国はアメリカだけであるのがなぜわからない。
 考えてもみよ、犯罪国家北朝鮮は論外、韓国も犯罪協力でしかない太陽政策の馬鹿だし、中国は敵意剥き出し、ロシアも不法なシベリア抑留につづく収容所とマフィアの国家、となれば残るはアメリカしかないではないか。
 日本の外務省も国民の意思をどこまで代弁しているか疑問に思えてくると、6カ国協議とはまさに『誰も』日本の将来に寄与しない虚構のように思えてくるが、それでも日本人は、日本国として結束せねばならないのだ。


 確かに日本人は、一時期、世界情勢を誤認していた時期もあった。これは認めざるを得ない。しかし、それを今の感覚で批判することはできない。当時の日本人は他ならぬ我々の祖父母であり、必死に生きていた。誤認は今からだから見えるが、当時は皆見えなかった。皆必死だったのだ。結果については何とでも言えるのだ。
 歴史を学ぶと言うことは、安易な歴史批判であってはならないのだ。
 アメリカは先の大戦で日本と戦った。アメリカによるとんでもない都市無差別空襲や原爆の使用はあった。
 しかし、私は父の招きで自衛隊と米海軍が同居する厚木基地に入ったとき、駐留する米海軍の将兵が日本の歴史に敬意を持ち、やや無邪気というには度が過ぎるものがありながらも、それでも日本の歴史と魂を高く評価している姿を見た。
 とくに当時の厚木駐留の米海軍飛行隊は、好んで鳥居というシンボルを用いていた。飛行隊の入り口にも鳥居があったし、基地の中の一番大きなロータリー交差点の中央にも鳥居があった。
 彼らは歴史と神秘の国・日本を尊敬していた。
 もちろん、米軍人の犯罪はある。だが、米軍はそういう人々が一部にいる一方でほとんどが日本をちゃんと守っているが、日本のマスコミが卑怯に隠す在日朝鮮・韓国人に中国韓国から来た盗賊団の犯罪の反面で彼らは日本を守っているとでも言うのか? アメリカのほうがずっと信念も敬意もあるし、善意もあると思うべきだ。
 その敬意をもたれる日本を、我々日本人が破壊してはならないと私は信じている。
 日本の美徳は、『勿体無い』という言葉だけでなく、ドラマ『おしん』に描かれた苦難の歴史はイラク・イランでさえ感心し、熱中した。
 そして日本精神の心髄を継ぐ伊勢神宮に参詣したイラク人はみな、その歴史に裏打ちされた神秘と自然の豊かさに感動したという。一神教イスラム教を信じる人々も、多神教の日本の神道文化を、他者として尊敬している。その他者への敬意こそが、地球で共存していくしかない人類に大事でありながら、壊れつつあるモノであるのだ。
 それを感じさせてくれるこの国を壊してはいけない。
 日本国は、たとえアジアが一つの政治単位になるような楽天的な未来が訪れたとしても、日本という単位を守ることは我々と、我々の子々孫々まで受け継がせて行かねばならない世界人類のまた一つの遺産なのだ。
 それは世界のどの国も同じであるが、しかし日本人として、せめて日本だけでも美徳を残さねばならない。


 だからこそ、歴史への敬意を、その歴史と統合の象徴である天皇家を守らねばならないと思う。
 そして、物事の本質を大事に考えるとき、アメリカやイギリスといった国も、対テロの中で民主主義を制限している、人権を脅かしている面はあっても、彼らの置かれた苦境と、それに到る歴史の苦しみと、それに立ち向かった勇気を無視してはならない。
 そして、日本において天皇家の存続を考えるとき、遺伝子云々というゲスな話に堕しては決してならないのだ。
 女系天皇反対は私もそうだが、それは遺伝子ではなく、天皇家の一員に民間人がなることの過酷さを誰かに課してはならないと思うからだ。
 遺伝子なんてモルモットを扱うような見地ではなく、魂、真心を守るとき、その魂を、歴史の重みに民間人がどれほど耐えられるかと考えねばならない。
 確かに皇妃は今、民間人になった。だが、彼女たちの苦労は報道されているだけでも気が遠くなる。雅子妃などはどれほど苦しんでいるか。想像するだけで気が遠くなる。
 まして、天皇まで民間人になって、陛下となって皇祖からの歴史を担い得るかというと、私はまだまだ難しいと考える。
 故に女系天皇は、できれば回避すべきと考える。
 だが、女帝でも良いし、女系天皇にしないと天皇家が消滅するとなれば、その道も残しておいて良いと思うのだ。原則論に縛られてはいけない。人間には可能性というものがあり、国民も納得できる本質をもつ人間が未来永劫現れないと断定はできないし、もしそういう人物がありながら、原則論のために本質を見失う結果になるのは最悪である。
 本質がもし守られる確証があれば、その道を閉ざした結果、もとも子も失うようなことは回避すべきだと考えるのだ。
 日本の美徳を守るために、日本人は日本の本質、魂を見誤ってはいけない。
 日本は明治維新とその後の西南戦争などで血を流しながらも、諸外国からの侵略を防いだ。それは、みな争いながらもみな、日本という魂の単位を決して失わなかったからだ。
 天皇家を語るとき、本質は魂、精神である。遺伝子だの血統だのではない。結果的に遺伝子や血統がつながっていたとしても、それを主軸にしてはモルモットや競馬馬のような感覚になってしまう。不敬である。


 そこで始めに戻ると、朝日新聞はその日本の魂、歴史への敬意がない。
 ジャーナリスト以前に、一人の大人としての資格がない。
 朝日は、結局左巻きのガキの作る新聞というマスゴミだとまた認識させられた記事であった。


 しかし、この憤りで朝日新聞をやめてしまえば、朝日の大罪を検証することができなくなる。特に朝日は卑怯なことに、ウェブにはこういう本心の透けて見えるような記事は載せないのだ。
 本当のA級戦犯朝日新聞をワッチし、告発するため、私は朝日新聞を読む。
 内心はらわたが毎日煮えくりかえるが。