宇宙も政治の範疇

 になったんだろうな。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%91%E6%98%9F
 を見ると、地球形の岩石・金属の惑星と、厚いガスの層のある木星タイプ、氷惑星(天王星型)に分けられるらしいが、でも分類しても、そこから先は確定していない。
 ぶっちゃけこれって政治の話でしょ。だって惑星を減らそうが増やそうが、星がそこにあることは何の変わりもない。軌道要素も出てるし観測もできるので何の問題もない。占星術の人たちが困るって、いやそんなの相手にするほうが馬鹿げている。
 惑星か小惑星か、という話になると、科学史的に似たようなつまらない論争がいくつもあったなと思えてくるのだが。境目なんか無いでしょ、基本的に。
 じゃあ境目のないものに境目を主張するほうが間違っているのではないか。そういう境目主張って言うのはドイツ第三帝国がドイツ人アーリア人種の生活圏なんて言ったり、日本の満蒙生命線とか、そういう政治の問題として勝手に主張して、にっちもさっちもいかずに戦争起こしたりキムチの食い過ぎみたいに騒ぎ立てるだけじゃん。
 あ、思い出した。DNA・RNAは生命か、精子卵子は生命か、受精卵は生命か、胚は生命かという議論だった。私としてはこれ、DNAは媒体であって、精子もその媒体を運ぶものであって、受精卵でさえも、結局は自己複製子という生命的に機能するけど生命ではないと思っている。生命性、霊性なんてのはこれもキリスト教とかの『信じちゃって他人も信じないとオカシイ』という他人コントローラが欲しい人たちでしょ。
 生命性なんて線引きはできないものだと思っているし、神道の考え方ではもともとすべてのものに神様はいるわけで、今更線引きするよりも問題にすべきものはいっぱいあるだろと思う。受精胚にしたって、私は結局ケースバイケースだと思っているし。
 あと、脳は思考の主体か、じゃあ心はどこにあるのかとかも、もっと地道に研究しなくちゃいけないのに、下らぬ境界問題で止まってしまう。。
 現在キリスト教世界観というのはある。進化論と平行してID(インテリジェント・デザイン説)なんてのを教えているのがアメリカだったな。
 結局、これも他人コントローラなのだ。他人がこんな小さな星まで惑星に入れるのが気にくわない、自分はここまでを惑星だと思っている、自分が思うから世界もそう思わなければならない、そうならないから世界はオカシイ、ただそれだけのことでしょ。
 いいじゃんべつに。たぶんオールトの雲まで彗星になるものと小惑星と惑星がどっさりあるんだろうと私は思う。それでいいじゃん。
 どっちにしろ力学的に導けば存在が出てるわけだから、一番科学的なのは『つまらんそんな定義にこだわるより解かねばならない疑問がいっぱいある』という姿勢だろう。ケースバイケース。いちいち線引きをしたがるのはそこで思考停止したい、落ち着きたいというのは知的怠惰であって科学的ではない。。
 ぶっちゃけ、『水素が融合反応で燃えてなければ全部惑星』とか、そんなのでもいいと思うんだけどな。子供に教えるって言ったって、かえって子供に教えにくいほうが子供も大人も勉強になって良いと思うのだが。別に小惑星と惑星でかかる税金が違うとか、そういうもんでもないんだし。
 地球上の領土問題だって、結局はどっちに帰属するかは決めなくてもその利用については決められるという実際上の問題に移っていく。領土と主張してもそれを維持する力がなければ奪われる。それは政治とそれを裏打ちする軍事と経済力の話で、いくら考えてもどうにもならない。
 だから生命だって、塩基いくつから生命なんて定義ではなく、遙か未来にマグニチュードみたいに評価できる指数ができるかも知れないけど、それまではケースバイケースで何の問題もない。ケースバイケースのために司法も倫理委員会もあるんだし。
 惑星もそう。燃えてなければ全部惑星と彗星。それでいいじゃん。議論終わり。
 それよりも、地球にぶつかってきそうな彗星の探知の仕事があると思うのだが。もしそういうものが見つかったら、それこそ核兵器だろうが何だろうがで防がねばならない。かといってその弾頭をどうやって彗星に命中させるかだって研究しなきゃいけないし、それが判明して用意ができて迎撃できるまでの時間を考えると、ホント、時間の無駄遣いだと思う。


 何かにたようなことでムカつくことがあったと思ったら、円周率だった。3.14ではなく3でいいというゆとり教育。子供が馬鹿になるだけだと思うんだが。私は3.141592でいつも計算して、ちゃんと試験時間内に間に合わせていたけど。