C級の死、A級の死

 朝日新聞夕刊『人脈記』。東条とC級戦犯が同じ神として祀られている靖国の批判。
 本当に歴史をまじめに考えたことがあるのか。中学生の発想だ。
 歴史上、どんな人もそれぞれに事情があり、あらがいがたい運命があったとなぜ思えないのか。
 第一、本当のA級戦犯とも言うべき大罪を犯した朝日新聞が人の生き死にに階級を付けるという発想自身、酷い冒涜だろう。こういう感覚だから、死を無駄死になどといえてしまうのだろう。
 人間として祀ると言うが、どう考えても人間というものに対する考察がなっていない。
 人間として祀っても、彼らは人間である限り責められ続けるのだ。
 せめて命を失った人だけでも、日本神道の伝統をとって神として尊重できないのか。
 人間は弱く、間違える存在だ。
 その人間が自由を勝ち得たフランス革命の結果は200年も続いた恐怖政治だった。
 人間であることは何の特典でもない。人以外に尊敬する生命もあるし、人間の中にも品性下劣な者もいる。
 だが、それを尊重し、決して死を無駄にしない命への視線があるからこそ、すべての死が救われるのだ。