ずるい憲法9条

 というか、なんか憲法9条を守ることを『歳末助け合い』と同じ次元にしようとしている人々がずるい。
 戦争を放棄して戦争が無くなるなら台風も地震も全部放棄したいよ。
 そうはいかないから私は9条改正を言うのだ。
 第一、9条のおかげで自衛隊員がどれだけ酷い目に遭ってきたか。沖縄では自衛隊員は存在しないことになっているから18歳で入隊した自衛隊員は成人式にも出席できなかったんだぞ。
 あと、いわさきちひろの絵に井上ひさしのお花畑憲法話を載せた本。
 ひどいよな。いわさきちひろは亡くなった人じゃん。その人の遺族が納得しているのだから出しているんだろうけど、これもずるいよなあ。いわさきちひろの冒涜だろ。汚いよな。
 第一私は井上ひさしが大嫌いだ。永六輔も大嫌いだ。永六輔先の大戦の特攻した兵を無駄死にといった。そして送り出した母をおろかといった。
 汚いというか、憲法がらみにろくなのがいたためしがない。現実にあるものを何も見ないし、現実に起きている問題を存在しないと言い抜けて、その結果政治家や自衛隊海上保安庁や警察が死人を出してまで解決すると、彼らの犠牲は一顧だにせずに憲法が守ってくれたという。で、終いには人の死はすべて意味が無いという。
 だからあんたたちは『人を殺すのはなぜ悪いんですか』に答えられないんだよ。生きることのうちに死は含まれる。死は終わりではない。死ですべてが終わるのなら歴史なんてものはなくなってしまう。
 歴史は累々と死んできた人々が受け継いできたものであり、ほとんどは先祖代々のものであり、我々が勝手に裁いたりできるものではない。裁くというのは思い上がりだ。
 だいたい爆笑太田ってこんなくだらないヤツだったのかと思うと呆れる。どうせそのうち大橋巨泉みたいに政治がらみの仕事するんだろ。汚いよなあ。
 人間には理解力というものがあって、物事を正しくとらえるには素養が必要なのだ。
 ところが憲法論議はその素養のない人を騙して宙に浮いた神学論争に取り込んでしまう。
 ホント、最低な人たちだ。第一いくら護憲の人たちが逆立ちしたって、結局ドイツのワイマール憲法と同じ結果になりかねない。本当に平和を守ると言うことの真価も手段も議論せず、お題目だけ。念仏平和主義。念仏は苦しんだ末の結論だけど、マスコミのちょっと政治的発言もしてみようかな的な人々、特に物理学者とかのの憲法論ってサイアク。
 井上ひさしとか永六輔はさまざまな影響力のある人に取り入って、とりあえず護憲といっておけば進歩的、ということにしている。
 そのマスコミに巣くうアカ的にすればいいという考えに、2004年9月11日、きっぱりとノーを言ったのがあの郵政選挙の本当の結果だったのだ。
 ところが、彼らは今度は選挙を疑い、世論調査を疑う。
 国民はもっと聡明だよ。
 結局、あなたたち『進歩的文化人』は退場するしかないんだよ。もう懐疑が知性の時代ではない。懐疑的に行動するよりも、悟った上でさらに黙考すべきだ。彼らは懐疑するといいながらその中途半端であやふやで受け売りの左派的姿勢でとりあえず行動しちゃっている。だから話がこじれるのだ。
 明快に見渡し、それでいて黙々と選挙で意志を示す。国民はそういう域になっているのだ。