ガイアの夜明けと国会討論斜め見

 今週はリサイクルでレアメタルを得る話。
 昔のSFというか、戦記物のマンガではレアメタルの争奪を予想して描かれていたけど、ほとんどがアフリカを舞台にしていた。
 それがまさか日本国内で、しかもあの小坂精錬の精錬所でゴミから取り出した方が安いなんて。予想もつかないここ数年の激動。
 人が構成する経済のダイナミズムにただただ絶句。
 その精錬途中のレアメタル、ムチャクチャ体に悪そうなものだった。鉱物、それも精錬というとすぐに連想して公害が浮かんでしまう。中国で同じことやってる人たち、身体壊すんじゃないだろうか。
 昼間、国会委員会質疑を見た。亀井静香の質問はやっぱり格が違う。民主党の煽り質問とは一線を画した質問であった。忙しくて全部は見られなかったが、たしかに歳出削減といいながら自立しようのない人々を切り捨てて置いて子供を産めと要求されても困るよなあ。
 現在の経済は将来への不安も通り越してしまって、不安神経症のように何かにすがりたいほどに追い詰まっているような気がする。
 現状維持だけでも良いと思っても、それすらできない。過労死を自己管理ができてないと言っちゃう人とか、母子家庭の手当を半減させるとか言っているけど、そういう手当関係を全てなくしたら所得再配分どころか日本に民間で生きている人がいなくなるのでは。
 公務員と政府に守られた一部企業の社員だけで、それ以外は経済に寄与しないからのたれ死んでも構わない、そこまでもう少しになっている気がする。
 そりゃ勤労は国民の義務だよ。でも、ここまで切り捨てが進んでは、所得再配分も再チャレンジも結局それに対応する役所を作って公務員を増やすということになり、事実上の社会主義国家、それもベルリンの壁崩壊寸前の末期の東欧みたいになっちゃうんじゃないだろうか。
 確かに手当の不正受給はあるだろう。生活保護では本来持てないはずの車、それもベンツを乗り回して生活保護を受けるヤクザだっている。でもそれを野放しに手当を切りやすいところから切っていくとなると、妄論と言いたくなってしまう話、日本は表の政府と裏のヤクザで成り立っているという話もホントかもと思えてきてしまう。
 一人一人は皆がんばっている。でも、それが全体ではうまくいかない。そういう時こそ経済学の出番なのに、なんだか政治的思惑があるのか、ものすごい切り捨て政策が続いて、さらに広がりそうに思えてくる。
 こう言うことを民主党は訴えて、国民の側に立ってくれればいいのに結局は官公労正規雇用者の労組の顔色ばかりうかがって、くだらぬ疑惑とやらで時間を空費している。
 でも、亀井静香の質問は、日本の荒廃していく山河の風景が見えるようだった。切ないものがあった。
 時間は止まらない。皆、そこでこのままでは駄目だと思っている。でも、駄目な方向にばかり行っている。
 私は民主党社会党共産党も嫌いだ。特に民主党にはお花畑平和主義の社会党崩れが多すぎるし、菅直人の煽り口調も嫌いだ。
 でも、どうやったらポジティブな方向に日本が向きを変えられるのか、見当もつかない。
 安倍総理官房長官だった頃とは別人のようだし。もう何もしんじられない。ただ惰性で安倍総理だからなんか良いことやってくれるだろう、と支持するしかない国民の数が昨今の世論調査に出ていると思う。
 ところが六カ国協議では北朝鮮が『核は作ったもの勝ち』という状況を作り出しているような気がする。韓中ロはどうにも北朝鮮のジョンイル政権とうまくやった方が北朝鮮人民はどうなってもいいから都合がいいと思っている節が大いにあるし、アメリカもイラク情勢の決着を付けられず二正面作戦は避けたいから妥協し、結局日本の拉致問題だけが取り残されてしまった感がある。
 拉致というが、現実には誘拐である。その誘拐犯国家北朝鮮にいいようにやられているような状況で、この件、作業部会の続報によっては安倍政権の本来得意とすべき安全保障も中身がなかったとなりかねず、そうなったら政権は瓦解する。
 安倍政権は小泉的パフォーマンスもなく、小泉豪運の継承も期待できるかどうか分からない。
 支持率はまだ高いが、本当の焦点は対北朝鮮政策である。
 北朝鮮問題に置いて何が大事か。それは拉致家族の奪還である。この一点だけで安倍政権を支持している人々も多いだろう。
 平和主義という人々がいる。でも、悪逆非道の行いを見過ごすことを平和というなら、そんな平和は人々を幸せにしない。それは無責任と非情でしかない。
 人々の幸せのために平和主義はあるべきであって、そのシビアな決断の中には、武力によらないというラインがカセになることは充分あり得る。
 どうせ実力は使わない、と特定アジアに暴虐をされている現状を打開するためには、やはり強制的な手段も考えるべきではないか。もともと平和と戦争の境目などなく、ともに政治の状態のグラデーションの中であり、日本で言われている専守防衛も、考えれば敵が攻めてきてから出動するのだから、出動した時には敵が一定範囲に危害を加えて終わっているわけであり、専守防衛では国民は守れないことは昔から言われている。
 そう考えると日本の平和憲法は、日本国民の一部を拉致や外敵の侵略に晒しても無視しようという、とても無責任で非情な憲法ではないだろうか。
 もちろんそうやって危害を加えられないような緩衝地帯を作るとなると緩衝地帯の緩衝地帯と泥沼の拡大になるが、とはいえ日本国内でほとんど実力行使の覚悟が示されない現状と、憲法前文の『国際社会の正義と公正さに信頼して』の国際社会が6カ国協議の状態では、憲法はすでに死んだと言ってもまったく過言ではない。
 本来なら国際世論が拉致被害者を返せという日本のまっとうな主張に答えてくれるはずだった。
 しかし、それはもう望めない。
 憲法がいかにすばらしくても、こんな6カ国協議の状態では、根本から国際社会に裏切られたと言って良いと思う。
 憲法は、本当に死んでしまった。瀕死というか、死文といわれていたとしても、ここまで露骨に死んだことを見せつけられて、未だに護憲だとか『9条を世界遺産に』なんて言っているのを聞いていると、あんたたち人殺し人さらいと共犯関係じゃないか! と思えてくる。
 この憤りが前回の9・11郵政選挙で一番強かったと思う。安倍政権は、その目的のために小泉の非情な改革路線を継承してもと期待された。
 安倍政権は実効性のある強制的な手段を考えないと、選挙で負ける。そうなったら民主党と連立だなんてのは野合の極み、さらに民主党政権など想像もしたくない。
 日本の衰退はすでに始まっている。それは亀井静香の言うとおりだ。はたしてその衰退をどう『管理』するかに近いところまで来ているのかも知れない。慄然とすべき現状の中で、また『何とか支援センター』なんてのをまだ作っている安倍内閣安倍総理官房長官の時だけ良かったのかも知れない。
 次回の選挙、日本国民はどう判断するか。選挙の予想はできないのだが、しかしこのままだと誰も勝ち残れない選挙になるのではないか。
 結果生まれるのは、国民がはじめからほとんど支持しない内閣の誕生である。
 最悪である。まさに亡国である。


Great Spangled Weblog
http://d.hatena.ne.jp/spanglemaker/20070209


 平和主義の皮肉について良くまとまっている記事であるので参考にされたい。